一流の物語は「救いなき残酷さ」を避けず描く 「桃太郎」が今なお日本一の昔話である背景
そういう本質を持つからこそ、クリエイターは、悪という存在を描かなければならない。
こういうと、例えば「泣いた赤鬼」や「スター・ウォーズ」は、悪を描ききってないではないかという反論をする人もいる。「泣いた赤鬼」は、鬼の人間的な側面を描いた感動作であるし、「スター・ウォーズ」は、悪の善的側面を描いたからこそこれだけヒットしたのだと。
巨大な残酷さが隠れ潜む
確かに、これらの作品は一見、悪の善的側面を描いているようにも見えるが、しかしその裏には、巨大な残酷さが隠れ潜んでいる。ルークは、悪党の象徴であるダース・ベイダーこそ殺さなかったものの、雑魚の悪なら夥しいほどの数を殺している。「泣いた赤鬼」も、赤鬼の側から見れば感動するような話かもしれないが、その反対に青鬼は全くといっていいほど救いがなく、その意味では残酷きわまりない物語となっている。
このように、一見悪の善的側面を描いているように見える名作も、その裏にはおぞましいまでの残酷さがちゃんと描かれている。「救いのなさ」がちゃんとあるのである。
そういうふうに、名作には必ず何らかの「身も蓋もなさ」がある。逆にいえば、それがなければ名作とはなり得ない。
だから、一流のクリエイターになるとするなら、そういう「身も蓋もなさ」を作品に盛り込まなければならない。それは則ち、悪を悪として描かなければならない。そういう覚悟を持てた人間だけが、一流のクリエイターになれるのである。
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