台南被災現場「厄落とし」が果たす重大な役割 生存者たちへの「心のケア」はどうあるべきか

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また、同書では、大きな災害における身近な人々の行方不明や死亡よって「自分だけ生き残ってしまったという自責の念」などから起こる心理的不安定から脱し、現世を生き延びていく方法を講じなければならない、ということを指摘している。

台南でも、厄落としを行っていた人々のなかには、家族や身の回りの人を失ったり、家を失ったりした人がいたに違いない。台南の震災における収驚という行為は、心理的に被災者を落ち着かせることによって、人々の精神的な回復力を高めるような効果を与えていると考えられるだろう。

外から見れば、ただの「気休め」かもしれないが

震災において、大きな衝撃を受けた人々に対し、彼らが「信じる方法」によって、外部からみれば「気休め」や「迷信」と思えるような方法でも、ある種の心理的な立ち戻りのきっかけを与えることに意味がないことはないだろう。

もちろんこの種の宗教的な行為にはそれぞれの国や地域によって異なる伝統に根付いたものがあり、だからこそ、震災のような一大事件の中でも違和感なく受け入れられた部分も大きいので、収驚という行為そのものを一般化することは難しいかし知れない。

ただ、台南の被災地で行われていた「収驚=厄落とし」に行列を作っている人々の姿は、想像を超えた不幸や災害に直撃された人々にとって「心を日常に引き戻す」ような効果が期待できる緊急時の「心のケア」がどのような形であっても重要であることを、改めて実感させるものだった。

野嶋 剛 ジャーナリスト

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のじま つよし / Tsuyoshi Nojima

1968年生まれ。上智大学新聞学科卒業後、朝日新聞社入社。シンガポール支局長、政治部、台北支局長などを経験し、2016年4月からフリーに。仕事や留学で暮らした中国、香港、台湾、東南アジアを含めた「大中華圏」(グレーターチャイナ)を自由自在に動き回り、書くことをライフワークにしている。著書に『ふたつの故宮博物院』(新潮社)、『銀輪の巨人 GIANT』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『台湾とは何か』(ちくま書房)、『タイワニーズ  故郷喪失者の物語』(小学館)など。2019年4月から大東文化大学特任教授(メディア論)。

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