傍流を歩んだ故の哀歓  花王前会長・後藤卓也氏①

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ごとう・たくや 花王前会長。1940年東京生まれ。64年千葉大学工学部卒業、花王石鹸(現花王)入社。タイへの出向などを経て90年取締役、97年社長に就任。7年在任後、2004~08年会長。現在はリコーの社外取締役や日本マーケティング協会会長などを務める。

私はずっと傍流を歩いてきました。入社3年目の25歳のとき、自動車部品メーカーへ出向しました。当初は2週間の出張でと言われたのですが、結局、6年間そこにいました。自動車部品メーカーは今では協力会社と言われるようになりましたが、当時はまさに下請けという感覚で、つらい思いもたくさんしました。私は技術担当で行ったのですが、実際には生産ラインに入って部品の組み立てもしました。花王本社からは「私たちはこれから海外へ行くので、ちょっと勉強させてください」などと、物見遊山で来る人も多かった。こんちくしょう、何で俺はこんなところにいなければいけないんだと、ずいぶん悔しい思いをしたものです。

 その次に、プラスチック成型の社内ベンチャーに引っ張られ、5年間いました。これも一部は花王から受注する下請け的な仕事でした。その後も化学品の担当期間が長くありました。当時化学品事業で働いている人は花王社内で「扶養家族」と揶揄されていました。洗剤など主流の家庭品事業の人から言わせると、俺たちが利益を上げて、お前たちはそれで食っている、と。

異動命令は自分で決められるいいポジション

でも、そこでいじけたり、ふてくされたりすることはありませんでした。いい加減な仕事をすると、自分が面白くなくなるからでしょうね。だから与えられた仕事をひたすら愚直に、一生懸命やりました。社長になってから、そうした下請け生活や傍流での仕事を振り返ると、自分で決めてよいことは何かという判断力が身に付いたことがよかったと思っています。最初の出向では、入社3年目の私が若手のまとめ役でした。人手が足りず花王から応援部隊を借りることもありました。文句を言われ、朝になっても来ない人もいる。上司らしい上司はいなかったので、私がたたき起こして、連れて来たりもしました。そういうところで自分で判断する力を付けていきました。本流の仕事なら、上司へお伺いを立てなければならないことでも、小さいところなら自分で決められる。私は上司にあまり相談しませんでしたが、自分で決める癖はそのときに身に付きました。これは下請けにいた財産だと思っています。

若い人や中堅の人は、小さな会社や部署への異動命令を受けたら、逆境だと思わないほうがよい。お伺いを立てずに自分で決められるいいポジションだと思ったほうがいい。実は花王にも“お伺い体質”が充満し大変だったときがありました。そのときの話は次回しましょう。

週刊東洋経済編集部
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