「美の民主化」を進めよう インダストリアルデザイナー・榮久庵憲司氏④

✎ 1〜 ✎ 43 ✎ 44 ✎ 45 ✎ 最新
印刷
A
A
えくあん・けんじ GKデザイングループ代表。日本のインダストリアルデザイナーの草分け。1929年東京生まれ。東京芸術大学卒。キッコーマンの卓上しょうゆ瓶やヤマハ発動機のオートバイシリーズ、成田エクスプレスなど幅広い工業製品のデザインに携わる。

インダストリアルデザインとは物のデザインですが、私が物にかかわっていこうと心に決めたのは終戦後、広島に復員したときです。原爆で、町は一面の焼け野原。遺体は片付けられた後でしたが、自転車が焼け落ち、自動車や電車が引っくり返っていました。そして焼け焦げた鍋、釜……。私がリュックサックを背負って立っていると、それらの物から声が聞こえてきました。幻想かもしれませんが、救いを求める声が聞こえてきたのです。そのとき私は物には心があると初めて実感し、自分は物の世界に進もうと思ったのです。まだデザインという言葉を知らない16歳のときでした。

 日本が米軍に負けたのは、物資不足が原因という腹立たしい思いもありました。広島に進駐してきた米軍の兵士は、アイロンのかかったギャバジンの制服を着て、格好よかった。印象深いのは水筒です。腰の部分に曲線があった。日本の水筒は直線なので走るとぱたぱたする。しかしアメリカの水筒は腰にぴったりフィットしていました。このほか、ラッキーストライクのたばこ、ハーシーのチョコレート、4輪駆動車のジープ。特にジープの上に座ったままポケットからチョコレートを出して子どもに渡す風景に、物質的隆盛を嫌というほど感じていました。

美しい景色を自分のものと思ったらもっと楽しくなる

同じ頃、鞆(とも)の浦へ行きました。そこで見た瀬戸内の海は、言葉を失うほどきれいだった。陸を見ると焼け跡ですが、海を見ると美しい。大きな矛盾ですよね。その瞬間、小さい頃、父に言われた言葉を思い出しました。「この美しい景色を自分のものと思ったらもっと楽しくなるよ」、と。確かに美しいものが自分のものと思えると、とても楽しくなりました。

そうした経験が合わさって、私は「物の民主化」、しかも「美の民主化」を進めようと決意しました。それまでは、絵画などの「美」を持つことができるのは特権階級だけ。しかし、量産品の工業製品を美しく作れば、もっとたくさんの人たちが「美」を実際に持つことができる。それに貢献したいと思ったのです。それが私の仕事、インダストリアルデザインへとつながっていきました。

こうした人生の転機になる場面は、人間誰しもが多かれ少なかれ、いつか経験することだと思います。その瞬間を逃さず把握するために、さまざまなことを知り、感動し、日頃から自分の知的・情緒的認識を高めておくことが大事です。その認識が高まれば高まるほど、物事を集中して見ることができ、強い決意へとつながるはずです。

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
パチンコ、「倒産」と「リストラ」ドミノの深刻背景
パチンコ、「倒産」と「リストラ」ドミノの深刻背景
空前の中学受験ブーム、塾業界の子ども争奪戦
空前の中学受験ブーム、塾業界の子ども争奪戦
ディズニー大転換「入園者数引き下げ」戦略の背景
ディズニー大転換「入園者数引き下げ」戦略の背景
そごう・西武、後釜に「ヨドバシ」が突如登場の衝撃
そごう・西武、後釜に「ヨドバシ」が突如登場の衝撃
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
  • 新刊
  • ランキング
東洋経済education×ICT