昭和の国民的マンガ「サザエさん」は、日本の家族史や女性史からも興味深いものです。
たとえば戦後すぐの作品では、サザエさんは男女同権の討論会で積極的に発言しています。戦前の家父長制を知っている作者の長谷川町子さんは、男女同権の運動に理解があった。家族の描き方にも特徴があって、磯野家の長男のカツオは、初期の作品から最後の作品までいろいろな家事手伝いをしています。波平さんやマスオさんは家事は熱心じゃないけれど、女性に対して決していばりません。作品の伸びやかな視点には、今も新鮮な発見があります。
現実に根差したところから変えていく
もっとも初期の頃には、女性の地位向上や社会意識の啓蒙がテーマとしてを顔を出していたのに、高度経済成長の後には、豊かさに埋もれるように主人公のサザエさんは精彩を失っていきます。それは時代精神の変容というべきものでしょう。それでも「サザエさん」を小市民的なサラリーマン家庭を描いたマンガとだけ理解するのは皮相な見方です。大きな時代状況とは別に、日々の暮らしの中で、女・子どもが生き生きと過ごす。このマンガの生活のリアリティを私は高く評価しています。
実は日本の左翼が結果として大きな力を持ちえなかったのは、内と外との乖離があったからではないかというのが私の持論なのです。社会の解放を主張する闘士が、家では専制君主になる。そんな例がたくさんありました。本当の解放を目指すなら、家に縛られている女性の解放も目指すべきなのに、それには目を向けなかった。
私は女性問題をずっとやってきましたが、女性運動にかかわる人たちから批判を浴びることもありました。現実に妥協しすぎていると--。政府の審議会メンバーになっていることから政権に取り込まれているとか、介護保険の旗振り役をしているときにも厚労省シンパだと言われました。宗教でいえば、まったくの異教徒ならばまだ許せるが、異端信徒はダメということなのでしょう。
介護保険は課題が山積ですが、しかし始まったことの意義は大きい。1980年代に介護保険の必要性を論じていたときには、こんなに早く広く日本に介護保険が定着するとは思ってもいませんでした。それまで嫁だけの仕事であった介護を社会で支える仕組みをつくったのです。
世の中を変えるには、少しの妥協があっても現実に根差したところから変えていく。私のある種の現実主義は、サザエさんと通じるところがあります。
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