亀屋万年堂に刻まれた「たゆまぬ挑戦」の歴史

お菓子のホームラン王「ナボナ」の誕生秘話

――戦争が終わった後も、しばらく食料不足が続きましたから、戦後のお店の再建にも大変なご苦労があったと思います。

しばらく目黒本町にあった清風堂(2012年に惜しまれながら閉店した老舗和菓子店)さんという和菓子店のお手伝いし、その後清風堂さんから材料を提供していただいて、自由が丘の亀屋万年堂を再開することができたそうです。

当時は砂糖不足もあり、人工甘味料のサッカリンを使う菓子店も多かったのですが、亀屋万年堂では“サッカリンだけは使わない”というポリシーを守りました。

――サッカリンやチクロなどの食品添加物は、有害性がよくわかっていない時期もあったそうですが、昭和40年代(1960年代頃)に発ガン性などが指摘され、大きな社会問題になったそうですね。

洋風どら焼き『ナボナ』の誕生と、王選手のCM

創業当時の亀屋万年堂

――そして昭和38年(1963年)、創業者の引地末治さんがイタリアのローマに行き、その時の体験が元になり、『ナボナ』が誕生しました。

亀屋万年堂は純粋な和菓子のお店だったのですが、末治がローマで開催された『お菓子祭り』を視察に行き、そこでヨーロッパのお菓子文化のすばらしさと、洋菓子の美しさに感銘を受けました。そして“和菓子と洋菓子のよさを合わせ持ったお菓子を創りたい”という想いから『ナボナ』が誕生しました。

『ナボナ』は“洋風どら焼き”という発想から生まれ、どら焼きの形のソフトカステラの間に、イタリアンメレンゲのクリームを挟んでいます。

――当時はようやく洋菓子が一般に広がり始めた頃。それに飛行機に乗って海外に行くというのもまだまだ珍しい時代でしたから、引地末治さんはかなりのベンチャー精神をお持ちの方だと思います。

そうですね。思い切ったことをやるというか、新しいことに挑戦するというか、『ナボナ』の開発もそうですが、昭和42年(1967年)に巨人軍の王選手を起用したテレビCMを作った、というのも凄いことだと思います。

次ページ王選手のCMはこうして生まれた
ライフの人気記事
トピックボードAD
関連記事
  • 野口悠紀雄「経済最前線の先を見る」
  • 新競馬好きエコノミストの市場深読み劇場
  • 本当に強い大学
  • 西村直人の乗り物見聞録
トレンドライブラリーAD
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
トレンドウォッチAD
ANAが希望退職実施へ<br>雇用維持貫くJALとの差

ANAホールディングス傘下の全日本空輸は10月7日、退職金の割り増しによる希望退職の募集を労働組合に打診。一方の日本航空(JAL)は同日に開かれた定例会見で、人員削減の考えはないと明言。両社で対応が分かれた要因とは。

東洋経済education×ICT