フランスワインの定着 その3:ブルゴーニュワイン《ワイン片手に経営論》第7回

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■ガリアにワインが根付いた理由とは

 これまでのコラムで記したように、ワインという飲み物は、もともとフランスが起源ではなく、メソポタミア文明、ギリシャ文明、ローマ文明といった文明の移り変わりとともに、ワイン交易が地中海からヨーロッパ内陸にまで広がって行く過程で、フランスにもたらされたものでした。さらに、商用のブドウ栽培自体も、もともと地中海沿岸でしか行なわれていなかった時代から、寒冷地でも耐えられるブドウ品種の発見とともに地中海から現在のボルドーやブルゴーニュへと北へ拡大し、ガリア人自身の手でブドウを収穫しワインを生産できるようになりました。

 ローマ帝国が滅亡する前に、ガリア人が自身の手でワインを生産できるようになっていたことはとても幸運でした。もしローマからのワインにガリア人がいつまでも依存していたら、ローマ帝国滅亡とともに、ガリアへのワインの供給は途絶え、ワインがフランスに定着することはなかったかもしれません。ビジネスでいうと、いつまでも外注に依存するのではなく、内製化することでサプライヤーが倒産しても生き残ることができる、そんなイメージと重なります。

 ただ、ローマ時代後半、ブドウ栽培がすでにフランスに広がっていたとはいえ、栽培は怠け者に出来るものではありません。その地で生活を営んでいた人たちには一定の技術力とともに丹念に忍耐強く取り組む姿勢が要求されたことと思います。加えて、紀元4世紀から5世紀にわたるフン族の侵略によるヨーロッパの荒廃化などを考え合わせると、ガリアの地においてもブドウ畑が荒らされ、ブドウ栽培やワイン生産の継続が幾多の困難を伴うものであったことは想像にあまりあります。いずれにせよ、現在のフランスが世界有数のワイン産地となったのが、ブドウ栽培やワインに情熱を抱く人々がそこにいて、世代を超えて脈々と、栽培や生産を伝統的につないでいったからこそのものであることは、疑いの余地がありません。

 それではどのような人たちがいたのか? そして、その人たちは、どのような役回りを担ったのでしょうか?

 こんな話をなぜするのかというと、このころの社会構造と人々の行動が、現在のワインビジネスの思想に影響を与えていると考えるからです。具体的にどんな思想であるかは、更に回を重ねてお伝えいたしますが、今回は、社会構造が人々の考え方に影響を与えた経緯について記してみたいと思います。

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