『日本産業社会の「神話」』を書いた小池和男氏(法政大学名誉教授)に聞く
日本は集団主義が文化であり、日本人は長く働くことが好きな会社人間--。この通説を労働経済学の碩学が論破し、「神話」のベールを剥ぐ。
--集団主義への反証として800年前の新古今和歌集から書き始めています。
この記述を盛り込むのは30年来の私のアイデアだった。新古今和歌集に選ばれるのは、多数決でもなく、もちろん合議制ではない。しかるべき個人が推せば、それだけで入選する。個人の審美眼でものごとを決する日本文化を紹介したかった。
--新井白石や坂本竜馬も登場します。
個人の実績を重視する方式が、かれらの盛名にもあずかったことを示したかった。最初に日本本土にきた外国人たちのうち、宣教師ザビエルの上司ヴァリニャーノが自著の中で日本人を集団主義と紹介しているが、むしろそうでないエピソードのほうが目白押しなのだ。ただし、参考文献に参照ページとともに掲げた彼の著作は、もともとのラテン語が原書で私自身は読めないが。
--集団主義ではないと。
集団主義とか会社が大好きということを、現代の人事・労働の世界の言葉で言えば、個人の働きぶりに応じてでは報酬を払わず、競争せず、仲良く仕事をする。つまり、仲間のことを考えて気を配ってチームワークで働くということになる。
これが事実かどうか。調べやすい手がかりは賃金だ。もし個人間競争が激しければ働きに応じて同じような勤続、同じような職場の中で差がつくはずだからだ。それには査定を調べるといい。ただこのためには企業内でも公表されていない個別人事資料を見なければならない。内部でも秘密なものを、まして外からは見られるのか。しかし内外でそういうことを分析している論文がいくつもある。これらの論文の結論は、アメリカを含めて査定の差は小さいということだ。
アメリカのスタンフォード大学にいたとき、人事分野の教員がなぜか会社の中身をよく知っている。それは会社が個人調停者を継続的に頼むからだ。アメリカ文化は基本的には裁判方式で人事・労働の世界でもその方式を採る。その教員に聞くと査定で差をつけない。