僕が「アルメニア人大虐殺」を題材にした理由 ファティ・アキン監督が語るタブーへの挑戦

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ある種のパブリックエネミー(社会の敵)になってしまったんだよね。彼らは本気で僕を殺そうとは思っていないんだろうけども、少なくとも気軽にトルコに行けなくなったという事実が僕にはある。ただ、家族についてあまり心配はしていないけどね。

僕には映画を撮り続けることしかできない

ファティ・アキン(Fatih Akin)/ 1973年8月25日、トルコからの移民の両親のもと、ドイツ・ハンブルクに生まれる。俳優を志していたが、トルコ移民役などステレオタイプの役柄ばかりであることに嫌気が差し、ハンブルク造形芸術大学へ進学。95年、監督デビュー。30代にして、ベルリン、カンヌ、ヴェネチアの三大映画祭で主要賞を獲得している

――監督は映画が社会を変えられると信じていますか?

うーん……。それは信じていると言いたいところだけど、正直言うと、疑っている面もある。今はサウジアラビアやインドアラブでもいろんな映画が作られているよね。iPhoneの登場で、誰でも映画が作られるようになって。作られる映画の本数は増えているはずなのに、世の中は何も変わっていなくて、紛争は絶えない。ロシアとトルコの紛争もあるしね。では、なぜ僕が映画を撮り続けているのかというと、僕にはこれしかできないからなんだ。

――とはいえ、この映画には現代に生きるわれわれに向けて重要なメッセージが込められているように思います。描かれている事柄こそ、過去に起きた物語ではありますが、そこから学ぶべきことは多いのではないでしょうか?

映画で描かれていることは、とてもつらい歴史ではあるかもしれないけど、たとえばそれが100年前に起きたことだからと言って、それは過去の話なのではなく、現在のことでもある。映画では、ある地域で起きたことを描いているが、それは今日、世界中で起きていることでもある。われわれは過去の問題としっかりと向き合ってこなかったので、まさに現在の問題として目の前に現れてしまう。それがこの映画の現代性だとも言えると思う。われわれは過去そのものであり、未来は現在につながっているものなのだから。

壬生 智裕 映画ライター

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みぶ ともひろ / Tomohiro Mibu

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、とくに国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても活動しており、映画祭パンフレット、3D撮影現場のヒアリング本、フィルムアーカイブなどの書籍も手がける。

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