ドクター/平石貴久
来年で還暦を迎える私は、この歳で亡くなった父のことをよく思い出す。田舎で産婦人科医院を元気に営んでいた父を襲ったのは、突然のクモ膜下出血。1発の発作は尊い命を奪った。最近、もしこの場で私の命が止まったらと、考える。それは死への恐怖ではなく、養っている家族や一緒に働いているスタッフの生活への影響であって、一応の危機管理と覚悟をもって働き、生きている。
内分泌専門医の息子から「父さんインスリン注射したほうがいいよ」というしつこい勧めで、昨年秋からインスリンの自己注射に踏み切った。医者の私が毎日自分に注射なんて。痛いし面倒だし、そんなに悪くないと思って拒否していた。しかし糖尿病の重大さや膵臓(機能)のメカニズムを知る以上に、自己注射に踏み切るのは勇気がいることだった。24時間維持のインスリンなので、1日1回毎朝8時にそっと針を刺す。問題は時差のある海外でも日本時間と同じ時間に注射しなければならないこと。3日坊主が多かった私も、こればかりはサボるわけにはいかない。当然のことだが、やがて血糖値は順調に低下し、糖負荷の肝機能も正常化した。インスリン注射をして大きく変わったのは、私の心。食べ過ぎてしまうとどのくらいのインスリンが必要かを考えてしまい、無駄な間食や食べ過ぎはまったくしなくなった。それにつれ体重も減り、運動を積極的にするようになった。
先週、母校慈恵医大の同窓会があり、いろいろな話が聞けた。その中で、もう十分働いたのであとはゴルフでシングルを目指したいという友人がいた。無理をしないでのんびり暮らすという地方の医師。私は今も必死に働いている。医療費削減、不況の影響、都会の医師は家賃も大きな負担になっている。しかし私は昨年暮バンコクにクリニックと病院を開設し、今年は関西で医療経営に進出、九州には老人介護施設を建設しようと思っている。私はこれからの医療はDNA治療や再生医療と位置づけ、研究に残りの人生すべてをつぎ込みたい。
この原稿を書いていたそのとき、偶然にも石川遼君が初米ツアーで予選落ちのニュースが流れた。彼は若さを活かして常に攻めのゴルフをしたと解説していた。私は何をするにも「勇気が必要だ」と、患者さんに説く。結果を予想することも大切だが、やってみなければわからない、というのが私の考えだ。
今回でこの欄の執筆を終わる。ゴルフをたしなまない私をここまで支えてくれたのは、「『東洋経済』を読んだよ」という患者さんの感想。スポーツ医から観たゴルファーの健康について書いてみたが、おもしろかったし、勉強にもなった。私がみなさんに伝えたいのは、ゴルフも仕事も検診も医療も、勇気をもって攻めることを忘れないでということ。勇気が人生、命と健康を変えてくれると信じている。ではいつまでもお元気で。
(平石先生の連載は今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました)
ドクター/平石貴久(ひらいし・たかひさ)
1950年鹿児島県生まれ。平石クリニック院長。丸山茂樹、片山晋呉などのプロゴルファーをはじめ、野球、Jリーグなどのトップアスリートやプロチーム、企業や大学のスポーツクラブの健康管理や技術指導を行う。アーティストのコンサートドクターとしても活躍。
1950年鹿児島県生まれ。平石クリニック院長。丸山茂樹、片山晋呉などのプロゴルファーをはじめ、野球、Jリーグなどのトップアスリートやプロチーム、企業や大学のスポーツクラブの健康管理や技術指導を行う。アーティストのコンサートドクターとしても活躍。
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