シャープはどこで間違えたのか 栄光と挫折の10年
つまずいた外販戦略 ソニー“撤収”の誤算
パネルメーカーは、勝ち残るために増産投資を継続した。新工場が稼働すれば供給量は一気に増える。ひとたび需要増加が鈍れば、供給過剰で価格は急落する。それでも巨費を投じた以上、生産はやめられない。待っているのは消耗戦だ。
もちろん、シャープ自身の過ちもある。堺工場(09年10月稼働)への4000億円を超える投資に対しては、当時、業界でも疑問の声が上がっていた。韓国・台湾勢に加え中国勢の参入で、近い将来、パネルが供給過剰になることは明白だった。
堺工場は、シャープがテレビ販売でなく、パネル外販で生きていく決断でもあった。08年、片山幹雄前社長がこう明言している。「(亀山第2など)既存のパネル工場だけで年間2000万台(32インチ換算)以上の生産能力がある。うちの液晶テレビ(アクオス)の販売台数を考えたら、それで今は足りる」。
42インチ換算で年間1300万台もの生産能力を持つ堺工場新設を決断したのは、パネルという部材で世界一の夢を描いたからだ。安定需要家を確保するために、08年2月、シャープは液晶テレビ世界2位(当時)のソニーと手を組んだ。堺工場にシャープが66%、ソニーが34%を出資、出資比率に応じたパネルの引き取り義務を設けることで合意した。
液晶パネル事業のハイリスクは覚悟のうえ。ならば、リスクマネジメントが最重要となる。「強いパートナーがいなければ、巨大な堺の新工場はリスクが大きすぎる」(片山前社長)。ソニーとのパートナー戦略がそのカギとなるはずだった。