“100年に1度”の津波でも対応できない現実--震災が突きつけた、日本の課題《4》/吉田典史・ジャーナリスト

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「“1000年に1度の災害”に見舞われたら、住民は津波で家が流され、財産を失うことは覚悟しておいたほうがいい。まずは、命を守ることを優先すべきだ。自治体は、そのことをあらかじめ伝えていくべきだろう」

そして、避難が遅れることが予想される、足腰が弱い老人や子ども、病人らは浸水地域にはもう住まないほうがいいとも語る。

「特に自力で避難ができない人は、これを機に高台に住むようにしたい。今回は、海岸沿いの住居に住み、避難が遅れた老人を救うために、消防団員が犠牲になったケースもある」

都司氏は、陸前高田市(岩手県)の「奇跡の一本松」について触れた。震災前には、海岸に樹齢300年を超える数万本の松の木があった。だが、これらは津波により倒れ、1本だけが残った。マスメディアは「復興のシンボル」としてこの松を取り上げるが、都司氏はそれとは異なる立場で見つめる。

「あれだけ多くの松がなぎ倒されたということは、『もうここに住むな。あまりにも危険だ』と教えているのだと思う」

“100年に1度の災害”ですら、住民の命を守ることはできなかった

都司氏は、厳しい見方を示した。陸前高田市や女川町、気仙沼市、石巻市(いずれも宮城県)などは、“100年に1度の災害”ですら、住民の命を守ることはできなかったと指摘する。

「たとえば、女川町は離島に津波観測所がある。そこで津波の初動を素早くとらえ、町役場に伝える。そして防災無線などを通して住民の避難の誘導を行うようにしていた。津波が押し寄せたときには、海岸沿いの居住区は浸水する、とあらかじめ心得ていたようだ。だが、その地区は狭い所に強引に町を造ったものだけに、被害は大きかった」

都司氏によると、女川町のこの津波通報体制は、“100年に1度の災害”に備えてのものではあったが、結局、住居はもちろん、人命も守ることができなかった。これを機に、被害の大きかった地域に住む住民は高台へ移転することが好ましいと都司氏は繰り返す。

三陸地域は、過去にも津波被害の後に高台移転を進めたが、しばらくすると海岸沿いに戻るようになったケースがある、と筆者が投げかけると、都司氏はこう答えた。

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