“100年に1度”の津波でも対応できない現実--震災が突きつけた、日本の課題《4》/吉田典史・ジャーナリスト

筆者は、学校の教職員や教育委員会は震災前、富士川に堤防がないことや学校が低地にあることを懸念していなかったのか、と尋ねた。都司氏は「そこまでは考えていなかったのだろう」と答えた。また、学校を建てる際に、津波防災の観点からの立地調査はしていなかった可能性があるとも指摘した。

都司氏が述べた女川町、気仙沼市、石巻市の事例は、津波防災の基本的なことである。だが、震災時、それらが十分にはできていなかった。マスメディアはこの1年数カ月の間、被災者への配慮からか、この基本的な対策の不備については踏み込んで報じてこなかったように筆者には思える。

今後はこれらの地域が、東日本大震災のような“1000年に1度”の規模ではなく、たとえ“100年に1度の災害”であったとしても、大きな被害を出したのではないか、という観点から検証し直すことも必要ではないだろうか。

浜岡、伊方の少なくとも2原発の立地は相当に危険

筆者が被災地の防災は不備が目立つと話すと、都司氏は「必ずしもそうとは言えない」として、その一例として岩手県宮古市田老町の摂待(せったい)地区を挙げた。

ここは、かつて明治三陸津波(1896年)により多数の犠牲が出た地域だった。それ以降、住民は標高の高い、三陸鉄道の線路より内陸側に住居を構えるようになった。今回の震災で津波は周囲の水田にまで浸水したが、鉄道の手前で止まり、住民が命を奪われることはなかった。

都司氏は「住居の近くには、明治三陸津波で死亡した人の数を記した供養塔(タイトル横写真)があり、住民は日頃からこれを見ていた。過去の歴史から学んでいたのだと思う」と語る。


宮古市田老町・摂待の光景、水田はやられたが人は助かった

さらに、普代村(岩手県)の高さ15メートルに及ぶ防潮堤も挙げた。この村は、明治三陸津波で1000人以上が死亡したり、行方不明となった。今回の震災では震災直後の2011年3月11日の時点で行方不明者が1人いるが、死者は出ていない。
 
 この巨大な堤防は、村長(故人)が難色を示す県や村議らを説得し、建設にこぎ着けた。明治三陸津波の高さが15メートルだったと村では言い伝えられていた。「村長はそれを警戒していたのではないか」と地元の住民は見ているという。


村を救った15メートルの巨大堤防

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