オウム逆転無罪判決で揺れる「裁判員」の意義 高裁の理由づけは説得力があるといえるか
なぜ「具体的に」理由を示す必要があるかというと、第1審においては、直接主義・口頭主義の原則が採られており、争点に関する証人を、裁判官が実際に目の前で見ており、その時の証言での態度なども踏まえて、供述の信用性が判断されているためだ。書面だけで審理する2審とは異なるのである。
さらに、最高裁は「このことは、裁判員制度の導入を契機として、第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては、より強く妥当する」と述べている。裁判員裁判では、職業裁判官に加えて、一般市民も判断に加わっている。最高裁は、裁判の進め方やその内容に国民の視点、感覚を反映させていく、裁判員制度の意義について強調し、裁判員裁判での判断を事実誤認として否定するのであれば、詳細な理由づけを「具体的に」することを求めているのだ。しかし、今回の高裁がそうした説明をしているのかは疑問だと新庄弁護士は言う。
裁判員裁判では直接主義・口頭主義を徹底
「井上死刑囚の証言が詳細すぎるが故に信用性がないということは、その証言は虚偽であったと言っているに等しい。とするなら、井上死刑囚が菊地被告人に対し、あえてそのような虚偽の事実を述べる理由があること、例えば虚偽の証言をする動機を持っているといった事情を示さなければ、『詳細すぎるが故に信用性が否定される』ということに対する説得力のある『具体的な』理由にはならないのではないか」(新庄弁護士)
しかし、高裁はもっぱら、井上死刑囚や菊地元信者の教団内での地位や、事件の性質・程度などを理由としており、そのようなことには言及していない。そうすると、今回の判断は最高裁判例に違反する可能性が出てくる。今回の検察の上告理由も、これに基づくものだ(刑事訴訟法405条2号)。
また、紀藤弁護士は、「井上死刑囚の教団におけるステージや、被告人が末端の信者であり、地位が低いことは、記憶が詳細であることが信用できないということの理由になるかは疑問」と指摘する。
「オウム真理教は、今回のようにテロのための爆発物を製造する場合、幹部の下に特定の末端信者がつく形で、大学の実験室のようなチームが形成され、かなり限定された人間関係の元でコミュニケーションがなされていた。高裁でこのような結論になったのは、検察が、当時のオウムの活動がどのくらいの人間によってどのくらいの規模で行われていたかといったことを、リアリティーを持って再現できなかったことも原因なのかもしれない」(紀藤弁護士)
確かに、限定された人間関係の中で行われていたことなら、17年前のことでも記憶が残っていても不思議ではない。また、井上死刑囚は教団トップだった麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚に次ぐ司令塔の立場にあり、オウムの関与した一連の事件について全体像を把握していた。「オウム事件に関与した内部の人間は、事件のことしか頭に残っていない」(新庄弁護士)ことが多く、井上死刑囚は特にその傾向が強かったという。さらに東京都庁小包爆弾事件は、行政の中枢を狙ったテロ事件であって、小さい事件であると言えるかは評価が分かれるところだろう。
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