オウム逆転無罪判決で揺れる「裁判員」の意義 高裁の理由づけは説得力があるといえるか

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つまり、「誰が見ても1審の裁判員裁判の判断が間違っており、高裁の判断が妥当である」とはなかなか言い切れないことが分かる。紀藤弁護士は、判断の当否はともかくとしても、高裁は国民に対して、刑事裁判の原理的な枠組みを見せる形で判決を出すべきだったとする。具体的には、どのような形だろうか。

「今回であれば、無罪推定の原則や、『疑わしきは被告人の利益に』といった刑事裁判の大原則から説き起こして論じられているのであれば、理解しやすい。しかし、判決はやはり単に裁判員裁判の判断を批判しているだけのように感じられる。これでは、税金によって刑事裁判を運営している国民にとっても不幸な判決になってしまう」(紀藤弁護士)

無罪判決が出たこと自体について、「17年間も逃亡していたのだから、罪の意識があったはずだ」といった批判も出ているが、これは菊地元信者に殺人未遂幇助の故意があったかどうかとは直接の関係がなく、感情論としては理解できるが法律論として大きな意味はない。無罪判決が出たという結論自体が問題なのではなく、重要なのは、裁判員裁判の判断に対して、職業裁判官から一方的な否定がされている印象がある点だ。裁判員裁判での判断に、高裁が必ず従うべきというわけではないということは当然だが、やはり説明が不足しているという印象は否めない。

最高裁では「裁判員制度の意義」が再び問われる

最高裁が示している通り、その判断を否定する場合は、より説得的で、国民の司法理解に資する理由づけが求められるということだろう。特に、一般的には処罰感情が先行してしまうため、「無罪推定」の考え方は、なかなか受け入れられないことが少なくない。今回はこの考え方を、判決文の中で国民に伝えるよいチャンスだったのではないだろうか。

17年前に起きた、人々の記憶から忘れ去られた事件は、思わぬ形で表舞台に現れ、「裁判員制度の意義」という大きなテーマを巻き込み、判断の場を最高裁に移す。

果たして、無罪判決が維持されるのか、それとも高裁判断が判例違反と認められ、もう一度「逆転」するのか。最高裁での結論は、今後の裁判員裁判に対する高裁の判断にも、大きな影響を与えることになるだろう。

関田 真也 東洋経済オンライン編集部

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せきた しんや / Shinya Sekita

慶應義塾大学法学部法律学科卒、一橋大学法科大学院修了。2015年より東洋経済オンライン編集部。2018年弁護士登録(東京弁護士会)

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