オウム逆転無罪判決で揺れる「裁判員」の意義 高裁の理由づけは説得力があるといえるか

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菊地元信者が罪に問われたのは、1995年4月23日から25日にかけて、山梨県上九一色村(当時)の教団施設から、東京都八王子市内のマンションに、爆発物の材料である薬品を3回に渡って運んだという事実。この時、菊地元信者が「薬品がテロに使われる」という認識があったのかという点が争点だったが、一審は認識があったとした。

根拠とされたのは、幹部として事件を指揮していた、井上死刑囚の証言だ。容器に入った爆発物を菊地元信者に見せ、「菊地が運んでくれたおかげで準備ができつつある」とねぎらいの言葉をかけたところ、菊地元信者が「頑張ります」と返答した、というものだ。1審の裁判員裁判では、この井上死刑囚の証言に信用性があると認められた。つまり、このような事実があったことが認定されたのである。

しかし、高裁は、1審の事実認定について、「経験則、論理則に反する、不合理な推論に基づくもの」と断じた。井上死刑囚の証言は、詳細かつ具体的過ぎたから、信用性がないというのだ。一般的に、詳細かつ具体的であることは、信用性評価にはプラスに作用することが多いから、異例の説明と言える。

17年前のことを詳細に覚えていることはできない?

事件があったのは17年も前のこと。菊地元信者の事件への関わりについて、他の証人は思い出すことにとても苦労したようだ。確かに、17年も前のことは、よほどインパクトに残ることでないと通常は覚えていないことが多いだろう。しかし、井上死刑囚は時の流れを全く苦にせず、些細なやり取りを具体的に証言していた。

また、高裁は、東京都庁小包爆弾事件は地下鉄サリン事件等の他の重大事件と比較して比重が低く、井上死刑囚自身にとって重要なものではなかったとする。末端の立場で地位の低かった菊地元信者との、そうした事件についてのやり取りを詳細に記憶しているのは、不自然であるとした。

井上死刑囚の証言は、他のオウムに関連する事件でも決定的な証拠とされていたものだ。今回の事件に限ってその信用性が否定されたのは、検察としては完全に想定外だったといえるだろう。この高裁の理由づけは、説得力があるといえるのだろうか。

2012年2月13日の最高裁判決は、「控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要である」としている。論理則、経験則とは、簡単に言えば、通常であればこう考えられるという「常識」のことである。

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