イスラム国は「間違った外交」から始まった 世界史から見ればニュースがわかる
民主化運動は、北アフリカのチュニジアに始まり、エジプト、リビア、イエメンと次々に飛び火したわけですが、とうとうシリアにも火の粉が飛んできました。
実は、この「アラブの春」を裏で仕掛けていたのは、アメリカとイギリスだといわれています。東西冷戦中、シリアのアサド政権はソ連とくっつきました。イラクのサダム・フセインと同じです。アサドは冷戦後も生き残り、ロシアのプーチンとくっつきました。
民主化運動「アラブの春」が生んだ歴史の皮肉
それが面白くないアメリカとイギリスは、これまで独裁政権によって抑圧されてきた人々をあおり、親ソ(親ロシア)政権を次々と倒していきます。イラクもつぶし、エジプトもつぶし、ついにはカダフィ大佐のリビアもつぶしました。
そして、残された中東最後の親ロシア独裁政権がシリアのアサドなのです。シリアの民主化運動は2011年以降活発になり、シリアは騒乱状態に陥りました。
これで勢いづいたのは、これまでアラウィ派によって抑圧されてきたスンナ派です。反政府勢力として、アサド政権を攻撃します。
シリアのスンナ派とイラクのスンナ派は、もともと宗教も民族も同じです。英・仏のサイクス・ピコ協定によって、「シリアとイラクに分割する」と勝手に線を引かれたにすぎないのですから。
だから、イラク戦争後にシーア派政権によって抑圧されてきたイラクのスンナ派の武装勢力が、シリアの混乱に乗じて国境を越え、反アサド運動に次々と加わっていったのです。
内戦状態のシリアは実質的に無政府状態で、アサド政権が押さえているのは首都のまわりだけですから、国境はフリーパス。次々と周辺地域からISなどの過激派組織も流れ込んできます。こうしてイラクからシリアに進出してきたISと、もともとシリアで反政府運動をやっていたスンナ派の人々が合流することになりました。
ISはシリアに浸透し、「イラクとシリアの国境線は認めない。真のイスラム国家をつくる」という主張を現実のものにするために、シリア・イラク国境で勢力を拡大していったのです。
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