イスラム国は「間違った外交」から始まった 世界史から見ればニュースがわかる

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異なる民族や宗派の住民たちがいきなり「今日からおまえたちはイラク人だ」と言われてできた人工国家。これがイラクです。もともと、まとまるわけがありません。

その後、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争などを経て、イラクは混迷を極め、結果的にISの拠点となっていきます。これらは、ヨーロッパ人によって勝手に引かれた国境線にすべての元凶があるといっても過言ではありません。

ISが、「サイクス・ピコ協定で引かれた国境を認めない」と言って、支配地域を暴力的に広げてきた裏には、このような歴史的背景があるのです。

ISがシリアに拡大したのはなぜか?

ISは、「イラクとシリアのイスラム国」とも称したことからわかるように、シリアにも勢力を拡大しています。

もともとシリアも、英・仏の密約で人工的につくられた国です。

大多数をスンナ派が占めていますが、独立以来ずっと政権を担ってきたのは、アラウィ派という少数派です。

アラウィ派というのは、シリア独特の宗派で、シーア派に近いけれども少し違う。シリアの地中海沿岸はかつて十字軍が占領していたことがあり、キリスト教の影響が強いのが特徴です。それゆえに、アラウィ派の人たちは、キリスト教に対してさほど違和感をもちません。

それを利用したのがフランスです。

第一次世界大戦後にフランスがシリアを勢力圏にしたとき、アラウィ派の人は割と協力的だったので、彼らを優遇しました。そして、スンナ派を抑え込むために、アラウィ派の人たちに軍事訓練を施したのです。

その後、フランスから独立してからも、アラウィ派の軍事政権は存続します。このような体制でまともに選挙をしたら、少数派の彼らは負けてしまいます。だから、ずっと独裁と軍事力で国を治めてきたのです。

こうして生まれたのが、アサド家による軍事独裁政権です。

少数派が多数派を抑え込む形になったのです。アサド家の2代目バッシャールは、イギリスに留学して医学を学び、親欧米派と見られていました。

ところが、2011年以降に北アフリカや中東地域で起きた「アラブの春」によって、一気に風向きが変わります。アラブの春とは、独裁政権に対する一連の民主化運動のことです。

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