政策を先送りすれば選択肢は減っていく--『日本経済史』を書いた杉山伸也氏(慶応義塾大学経済学部教授)に聞く
──徳川時代のどこまでさかのぼる必要がありますか。
源流として織豊政権のあたりまでさかのぼらないと、現代を議論できず、今の日本の問題が解けない。信用取引や金融システムは原型が徳川時代にあると考えているが、そればかりではない。明治の不平等条約の下でも、日本経済が潰されなかったのは、徳川時代にそれなりの成長基盤、外圧に対抗していける基盤ができていたからだ。
──現代を議論できないとは?
この400年を、日本の経済と国際経済との距離が広がったり縮まったりしていく関係性でとらえるとわかりやすい。明治の国家目標は、列強に囲まれた中での「独立の維持」と、「欧米との対等」の二つだった。そのための条約改正であり、欧米と同じ金本位制の確立だった。欧米と対等にはなったものの、金本位制維持には日本の経済力はまだ十分ではない。外見だけは整えても、財政的には苦しい。実はこの状況は戦後の高度成長で緩和されるまで続いた。
──連続性と不連続性も本書のキーワードですね。
ストックとレガシー、つまり何を引き継ぎ、何が断ち切られたのか、を知るのは、歴史をマクロ的にとらえる際に重要な視点といえる。
たとえば徳川幕府は低く評価され、明治政府は高く評価されてきたが、実はその差はそんなにない。徳川幕府は意外に世界の情報をよく集めていた。徳川幕府がさほど無知ではなかったことは、安政の5カ国条約の抵抗の跡からもかなりうかがえる。明治政府は上層部に薩長土肥出身が多いとはいえ、中堅以下は幕府の関係者であり、知的な能力のある人は幕府にもたくさんいた。渋沢栄一にしても旧幕臣。人的な連続性は明治期に至っても強い。司馬遼太郎のように対立的にすると、面白いかもしれないが、現実とはかなり違う。