日本の天才数学者、谷山豊が得た奇跡の着想 「数学の大統一」に日本人が大貢献していた
わたしは志村先生に、ロバート・ラングランズをどう評価なさるかとお尋ねした。すると先生はさらっと、「(ラングランズは)旗振りしただけでしょう」とおっしゃったのだ。ここで急いで補足するが、時代に先駆けて立ち上がり、旗を振るというのは誰にでもできることではない。
フレンケルの今回の講義でも、もしかするととんでもない大間違いかもしれない洞察を述べることへのラングランズの不安が、ヴェイユに宛てた手紙(実質的には論文)への添え書きに、はっきりと表れていた。旗を振ることは、それはそれ自体として、すごいことなのだ。
ラングランズに対する志村先生の評価は、志村先生ご自身の数学との向き合い方、あるいは数学観のようなものと密接に結びついているはずのものである。このコメントは、志村先生の口から出たからこそ凄みがあるのであって、そんじょそこらの者が口にすれば、薄っぺらなセリフにしかならないだろう。
とはいえ、わたしが強い印象を受けたのは、ラングランズについての先生のコメントではない。わたしはそれに続けて、「では、ヴェイユはどうですか」とお尋ねした。すると先生は、一瞬間をおいてから、ひとことひとこと区切るように、力を込めてこうおっしゃったのだ。
ヴェイユは数学界における一等星
「ヴェイユは、まぎれもなく、一等星でした」。つまりヴェイユは、数学史上に燦然と輝く一等星のひとつだというのだ。わたしの目と耳には、このときの志村先生が焼き付いている。この先生の言葉の重みを自分のものとして実感することは、数学者ならぬ身のわたしには永遠にできないだろう。けれども、今でも翻訳の仕事でヴェイユに出会うと、この人は志村先生にあのように言わせた人物なのだと、襟を正してしまうのである。
実はこのとき、わたしはさらに続けて、「では、志村先生ご自身は何等星でしょうか?」とお尋ねしたのだが、この問いに対する先生の答えは、みなさんのご想像にお任せすることにしたい。
フレンケルの著書『数学の大統一に挑む』は、大勢の数学者たちを糸として織りなされるタペストリーのようなものと見ることができる。ロバート・ラングランズとアンドレ・ヴェイユは、全体のトーンを決める重要な2本の糸だ。
そこに意外な方面から、第3の重要な糸が現れる--物理学者エドワード・ウィッテンである。
さて「数学ミステリー白熱教室」次回(12月4日)はいよいよ最終回。そのテーマは「数学と物理学 驚異のつながり」だという。はたしてウィッテンは、講義にも登場するのだろうか? だとしたら、フレンケルはこの驚くべき人物をどのように語るのだろう? 最終回となる第四回は、フレンケル自身にとっても格別のクライマックスとなるはずだ。
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