東海道新幹線の「車窓」はこんなに面白い! 「のぞみ」より「こだま」の自由席がオススメ

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東京駅の駅弁競争は激しさを増している。JR東海Pは東京・名古屋・大阪の名物を詰め込んだ「東海道新幹線弁当」を発売

東京駅の駅弁は、主にNRE大増とJR東海パッセンジャーズ(以下JR東海P)が担当している。さらに中央通路の「駅弁屋 祭」では全国の様々な名物駅弁を販売しており、目移りするほど。

NRE大増はJR東日本の、JR東海PはJR東海の敷地で営業しており、東海道新幹線の改札内で売っている駅弁は、基本的にJR東海P製だ。

中には「深川めし」のように、両社で販売している駅弁もあり、それぞれ微妙にレシピが違うのが面白い。駅弁にこだわらなければ、八重洲口近くのおむすび専門店「ほんのり屋」、大丸デパート地下の食料品売場などもファンが多い。

車内で味わう生ビールはまた格別。ビジネス客で混雑する「のぞみ」ではなかなかこうはいかない。これも「こだま」の魅力だ

極めつきは、東海道新幹線中央連絡改札内の待合室で売っている生ビールだ。コーヒーショップのようなプラスチックカップに注ぎ、こぼさないようフタもしてもらえるので、車内に持ち込むことができる。

ただし泡は刻一刻と減る。駆け込み乗車にならない範囲で、いかに発車直前に注いでもらうかが勝負である。ちなみに、車内持ち込み可の生ビールは、新横浜駅や小田原駅でも販売している。

好きな駅弁と生ビール、あるいはソフトドリンクを購入したら、いよいよ車内へ。車両は、N700系が全盛だが、車窓を楽しむなら700系がいい。窓がN700系よりも大きく、見やすいからだ。今は走っていない300系は、窓際に座ると「視界すべてが車窓」になるほど窓が大きかった。新幹線の車両は、新型ほど乗り心地が良くなる反面、窓が小さくなっているのは残念だ。

新幹線車窓の「勝ち席」はどこ?

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5列シートでお馴染みの新幹線の車内。E席が一番人気だがA席も落ち着く(画像提供:JR東海)

さて、どこに座ろうか。車両は、自由席なら2号車、4号車などの偶数号車がいい。洗面所がない分座席が多く、余裕をもって座れる。

そして、座席。東海道新幹線は、A~C席が海側の3列席、D・E席が山側の2列席となっている。昔から2列席が人気で、指定券はE席から売れていく。

車窓風景を楽しむなら、確かにE席は魅力的だ。富士山をはじめとする自然風景が数多く見える。一方、下り列車のA席は午前中まともに日が差し込み、多くの人がブラインドを下げる。混雑すれば、トイレに立つのも憚られるほど窮屈な思いをするかもしれない。

だが、A席にも利点はある。特に「こだま」自由席の場合、B席に誰かが座るほど混み合うことは少ない。指定席でも、B席は最後に販売されるので、よほど混雑していなければ落ち着いた旅を楽しめる。

また、E席は絶えず対向列車を見ながらの旅となる。すれ違う時の衝撃が気になる人もいるし、線路を一本挟むぶん車窓風景までの距離が遠くなり、意外に眺望に差が出る。A席なら、線路のすぐ近くの風景もよく見えるので、曇りの日や、太陽が西に移動する14時以降はA席がお勧めだ。新大阪発の場合は、反対にE席側の車窓からが景色を見やすくなる。冬の晴れた日なら、富士山の絶景に期待してE席を確保しよう。

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東京交通会館3階の屋上庭園(左)とイトシアプラザ(右)の3・4階レストランは東京でも屈指の新幹線ビュースポット

さて、出発時刻がやってきた。ホームに発車チャイムが流れ、列車は静かに動き出す。東京駅では、2003年まで使われていた「のぞみ」の初代車内チャイムが発車チャイムとして使われている。

丸の内の赤レンガ駅舎と、東京中央郵便局kitteなどを見ながら、列車はゆっくり東京駅を離れる。山手線や京浜東北線と並走し、東京国際フォーラムが見えてくると、すぐに有楽町駅だ。左に東京交通会館、そして有楽町イトシアのある駅前広場。マルイ3階のミラーガラスには、自分が乗車している新幹線の車体がきれいに映る。

何気ない都心の風景だが、こんな所にも東海道新幹線をめぐる建設の苦労が詰まっている。

新幹線のために「削った」建物

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イトシアとマリオンに囲まれた一角が、有楽町の昭和を伝える。小さな扉は室外機のメンテナンスに使われるのだろうか

当時ここには戦後の闇市をルーツとする飲食店街があり、東京都が新幹線の建設に合わせて都市計画を進めていた。

ところが都と住民の話し合いは遅々として進まず、開業2年前の1962年になっても用地確保の目処すら立たない。工事局の関係者は内心「単線の仮線で突破するしかない」と考えるほどだったという。

東京オリンピックまでの開業は至上命題。交渉成立を待つことはできない。国鉄(現JR)は、立ち退き交渉が不要な有楽町駅前歩道の上空に高架線を通すことにした。しかし、歩道はあまりにも狭く、どうしても高架の一部が建物と接してしまう。

そこで取られた最後の手段が、「既存の建物を高架が支障する部分だけ切り取る」というものだった。当時日劇の向かいにあった「白鳥」という喫茶店で、3階部分を2mほどの幅で切りとり、ぴったり収まる形で高架が建設されたのである。

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有楽町駅銀座口付近では、新幹線の高架が建物の上に重なり、建設当時の労苦を物語っている

この建物は今も有楽町駅前に残っている。イトシアを通過した列車は、一転して古い密集した建物の横に差し掛かる。

ここは、戦後の有楽町駅前の風景を唯一残す一角。次に有楽町マリオンが現れる直前、列車のすぐ隣をすり抜けるパチンコ店が、新幹線によって「削られた」建物だ。有楽町駅前に立つと、新幹線のために建物が切り取られた様子がよくわかる。まさに、ギリギリの工事だったのだ。

有楽町駅前の都市計画は、開業前年の1963年になってようやく進展し、新幹線開業の翌年には東京交通会館が完成。今では広場も整備され、新幹線のビューポイントとして有名になった。

列車は新橋駅を通過する。そろそろ、生ビールに口をつけるとしよう。
 

栗原 景 ジャーナリスト

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くりはら・かげり / Kageri Kurihara

1971年東京生まれ。出版社勤務を経て2001年独立。旅と鉄道、韓国をテーマに取材・執筆。著書に『新幹線の車窓から~東海道新幹線編』(メディアファクトリー)、『国鉄時代の貨物列車を知ろう』(実業之日本社)等。

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