なぜ米国はナチス台頭を止められなかったか ヒトラーと対峙した米国大使一家の記録
実直なリベラリストで教養も高いドッドは、目撃しているヒトラー政権の圧政と、それに無関心を決め込む本国に挟まれて、苦しむこととなる。ドッドは米国の理想を体現し、ナチスの危険性をはっきりと警告した英雄だったのか。それとも「米国のリベラルを示せ」というローズベルトの社交辞令を真に受けて理想を語りながら、実際にはただ「目撃」するだけで何ひとつ事をなしとげることもないただの不平屋だったのか。
そんな父親とともにベルリンにやってきた大使の娘・マーサもまた、人生を大きく変えることになる。
美しく、聡明で、明るく、好奇心にあふれる若き米国女性のマーサは、たちまち社交界の花形となる。彼女が初めて見たベルリンは、じつに魅力的に見えた。奇跡の復興を遂げた新生ドイツの若者の顔は輝き、健全で善良で、希望に満ちていると。ナチスに多少の行き過ぎがあっても、その成果をすべて否定すべきではない。
そう感じたマーサは、大使館を舞台に様々な人々と積極的に交流する。芸術家やジャーナリスト、軍人、次々と友人関係を広げるが、やがてそれは奔放な恋愛関係へと発展していく。ゲシュタポの幹部と関係を持ち、同時にフランスの大使館員らともつきあう。特にロシアのスパイ・ボリスとは激しい恋に墜ちる。
そしていくつもの恋愛を繰り返す過程で、マーサと関わった男たちの運命も大きく動き、マーサも「輝ける新生ドイツ」の真の姿に気づいていく。一度は魅せられたナチスの暗い真実を直視したことはマーサを一変させ、彼女の戦後の人生までも大きく左右することになるのである。
警鐘を鳴らす者は、まっ先に排除される
何かが根本的に変わってしまい、引き返す事が出来なくなる事態に至ったことが、遍く理解されるときというのは、その時代に生きる人々にとってはいつも手遅れだ。あの時代に生きていた人々を笑うことはできない。先んじて警鐘を鳴らす者が、人々の安心や社会の秩序を乱す者として排除されることは、いまでもあちらこちらで目にする光景なのだから。
歴史に学ぼうとする永々とした営みがある一方でそれらの膨大な努力が一瞬にして吹き飛ぶことを、外交官であるよりも歴史学者であったドッドは誰よりもよく知っていただろう。ドッドは、暴走するドイツや傍観する米国に、何を思ったことだろう。外交官としてという以上に、歴史学者としての無力感を抱いたのではなかろうかとも想像するのだった。
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