「刑務所に閉じ込めておけ」の声に疑問…前代未聞の凶悪犯罪《女子高校生コンクリート詰め殺人事件》加害少年の"その後"を追い続けてきたワケ
元号が昭和から平成に変わる1988年から1989年にかけては、首都圏幼女連続殺害事件やリクルート事件、六本木ディスコ「トゥーリア」で照明が落下して死傷者が出る事故など、いまも多くの人の記憶に残る出来事が相次いだ。
1988年9月19日に吐血した昭和天皇が約4カ月の闘病生活ののち、1989年1月7日に崩御したのと同じ頃、凄惨な暴行によって命を落とした女性がいた。足立区綾瀬の女子高校生コンクリート詰め殺人事件の被害者である。
当時高校3年生だった女性は、アルバイトからの帰宅途中、自転車に乗っているところを突然蹴り倒され、助けるふりをした当時18歳の少年から性暴力を受けた。その後、最初に蹴った17歳少年の自宅に拉致・監禁され、中心的に加害に及んだ4人と加担した少年らから、約40日間にわたり性的・肉体的暴力を受け続けた。
1989年1月4日に息絶えたのち、遺体はドラム缶に入れられてコンクリート詰めにされ、東京都江東区若洲の埋立地に遺棄された(遺体発見は同年3月)。
事件に関わった元少年たちは、出所後どう生きてきたのか。本当に反省し、「贖罪の日々」を送っていたのか。HBC北海道放送の山﨑裕侍さんは、準主犯格の少年Bが出所した1年後の2000年ごろから加害者に接触し、取材を続けてきた。
そこで見えてきたのは、主犯格4人のうち3人が再犯に及んでいること、2人が亡くなっていること、事件を悔いながら家庭を持った者がいることなどだった。今年1月、彼らの「その後」を描いた著書『償い』を上梓した山﨑さんに聞いた。(ライター・朴順梨)
処罰感情ではなく、加害者を知りたい気持ちが強かった
──山﨑さんは1971年生まれで、事件当時は被害者と同い年でした。事件を知ったとき、何を感じたか覚えていますか。
実は、報道を見た当時の記憶はまったくないんです。後から知ったのかもしれませんが、同い年だったこともあり、被害者の印象だけは強く残っています。ひどい事件だという思いが、心のどこかにずっとありました。


















