馬が大好きだった少年は、その日、将来の夢を決めた。馬車屋になる――。
この夢を、貞松少年は20年以上温め続けることになる。
日本トップの競技クラブへ
とはいえ、すぐに馬車屋になったわけではない。
「将来は馬車屋をやる。そのためにも、まずは国体や全日本で勝ちたかった」
高校卒業後、大阪の杉谷乗馬クラブに就職した。ナショナルチームを擁する日本トップのクラブからスカウトされたのだ。障害馬術の選手兼インストラクターとして腕を磨きながら、国内外を転戦した。依頼を受けて海外へ馬の買い付けにも行った。お客さんの希望に合った馬を探す仕事だ。
いくつかのクラブを渡り歩き、馬の調教や指導、クラブ運営も経験した。馬術の世界で、貞松の名は知られた存在になっていった。
しかし、胸の奥にはずっとあの光景があった。雲仙の教会、白馬の馬車、幸せそうな新郎新婦――。
選手として結果を出せるようになると、「そろそろ馬車屋さんだな」という思いが強くなっていった。


















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