世界が戦争に向かった1926年と2026年の状況があまりに似ている理由、世界は民主体制を維持できるのか、独裁体制が相次ぎ出現するのか

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折しも昭和恐慌に続いて起こった大恐慌によって国内経済が破綻していくなかで、国際法を無視しても海外へ活路を求めようという声が国民の中から日増しに高まる。

鬱積したコンプレックスに火をつけたのが軍縮問題であったと言える。一等国であるという自負が、日本政界の統帥権侵犯問題として起こってきたのである。

国際法が持つ限界

第1次世界大戦後の新しい国際体制の中で、不戦条約締結への意欲が高まっていった。パリ不戦条約(1928年)は翌1929年に日本でも批准されていた。そこには、こう書かれているのだ。

「第1条(戦争放棄)締約国は、国際紛争解決ため、戦争に訴ふることを非とし、かつその相互関係おいて国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言する」(『国際条約集』前掲書、674ページ)

もはや国際法によって戦争に訴えて領土を獲得したりすることはできなくなっていたのである。しかし、怒った国民はそうした国際法を無視し、国内法の問題で騒ぎ始める。満州に活路を見出した日本は1931年9月18日、一部の将校たちの陰謀によって柳条湖で事件が起き、中国との戦争に入るのである。そして翌年、満州国を設立する。

これは不戦条約を決めた国際法を逸脱する行為である。中国政府が、国際連盟憲章11条の戦争の脅威という条項を基に訴えた結果、リットン調査団が組織される。

日本の戦争行為は、ヴェルサイユで決定された20世紀の新しい体制、すなわち国際法にしたがって、戦争を避けるという行為を破る最初のケースとなるのである。

そしてそれは、国際社会は決して国際法にしたがって秩序を維持できるものではないことを最初に示したものであったとも言える。

こうして第1次世界大戦以後に生まれた国際秩序を維持する国際装置である国際連盟は、その存続を含めた大きな試練の時を迎える。

1933年2月24日、リットン調査団の報告を基に開かれた国際連盟総会で、日本の即時撤退を求める決議が賛成40、棄権1、反対1(日本のみ)で通過する。そしてその後日本は国際連盟を脱退する。

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