世界が戦争に向かった1926年と2026年の状況があまりに似ている理由、世界は民主体制を維持できるのか、独裁体制が相次ぎ出現するのか

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「貧(ひん)すれば鈍(どん)す」の例えどおり、日本の未来はこの恐慌から大きく変わっていく。

第1次世界大戦以降、勝利国としてヴェルサイユ会議でも重要な役割を担った日本は「一等国」として世界の主要列強であるという自信を持ち始めていた。ところが、この誇りは1924年のアメリカの移民法によってもろくも崩れ去る。

アジアからの移民を全面禁止したアメリカに対し、日本人が怒ったのは白人並みの一等国と思っていた自らの誇りをいたく傷つけられたからである。だからこそ、ほかのアジア人は別として日本人だけを例外に処するようアメリカ政府に主張したのだ。

アメリカの移民法がアジアにもたらした影響

石橋湛山は、『東洋経済新報』の1924年の社説でこう述べている。

「果たしてしかりとせば仮にこの際、我が国の希望が容れられ、いわゆる帰化不能移民排斥条項が削られたとしたところが、埴原大使の称する『差別規定』は、依然として日本人以外のアジア人には存するのである」(『石橋湛山著作集』3巻、東洋経済新報社、1996年、148~149ページ)

確かに石橋の言うとおりである。日本人が白人ではないことは明らかなのだ。しかし、白人に類する一等国民を自負した日本人は大きく傷ついたのである。それは劇作家・詩人であり、在日フランス大使を務めたポール・クローデル(1868~1955年)の言葉でもわかる。

「日本人の性格の根底にある自尊心、過度の感受性、根に持つ傾向を知っている者にとっては、一般国民や新聞がこの件についてさほど意見を表明することなく、手ひどい仕打ちを受け入れていることは驚くにあたりません。とりわけ怨念が深いのは軍隊です。戦争ということばが多くの人々の口の端にのぼってます」(ポール・クローデル『孤独な帝国 日本の一九二〇年代』(奈良道子訳、草思社文庫、2018年、355ページ)

この時の怒りは、より大きく爆発すべく、日本人の心の中に蓄積されたのである。そしてその怨念を一挙に解き放ったのが軍縮問題であった。

1922年のワシントン会議で諮られた軍縮問題は、1930年のロンドン会議へと持ち越され、日本の不満は一挙に高まっていった。

とくに大日本帝国憲法下での軍の統帥権が天皇に属していたことで、国際条約が国内の憲法と齟齬をきたすという問題が、国内の昭和恐慌以後わだかまっていた不満を一挙に爆発させていく。

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