《50歳で東大合格》憧れ再燃で東大受験した主婦が息子を亡くした悲しみ越えて描く夢

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安政さんは兵庫県姫路市に、高校数学の教師をしていた父親と、洋裁の先生をしていた母親のもとに、3人姉弟の長女として生まれ育ちました。

小さい頃は周囲の子がみんなやっていたピアノや習字を習っていたものの、当時通っている人が少なかった学習塾には行っていなかったそうです。

公立小学校のときにすでにそれなりに得意だった勉強面は、公立中学校に入ってから開花し、成績はとても良くなりました。

「勉強が好きだったんです。ピアノも習字もあまり得意じゃなかったのですが、同じように頑張ったら勉強のほうがより効果が上がったので、『勉強を頑張るからピアノも習字もやめたい』と親に言ったら辞めさせてもらえたので良かったです」

高校では地元で屈指の進学校である姫路西高等学校に進学します。

本番で失敗…致命的な弱点が見つかる

高校ではブラスバンド部とバドミントン部に入った安政さん。しかし、活動が忙しくて成績が落ち、高1の1学期には同級生450人中410番くらいになってしまいます。

ただ、バドミントン部をやめて、夏休みに勉強を頑張ったことで9月には100番台になりました。

「姫路西高校に行ったからには、東大か京大か早稲田か慶応じゃないと嫌だと思っていました。その気持ちは揺るぎませんでしたね」

2年生になったら担当の先生方ががらっと変わり、日本史の先生と相性が良かったこともあって勉強が面白くなり、いつも100点に近い点数を取るようになります。

それが引き金になって他の教科の成績も伸び、3年生で再び1年生のときの担任が受け持つことになったら、「いつの間にこんなに成績が上がったんだ!?」と驚かれたそうです。

その頃には、京都大学の文学部に行って日本史を勉強しようと思っていた安政さん。担任の先生からも妥当な線だと言われていたそうで、4月に実施された共通1次試験の模試でも、成績上位者として名前が掲載されるほどでした。

しかし、残念ながら現役時の共通1次試験は8割に届かない点数に終わり、この時点で京都大学は難しいと悟ります。

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