「昼間なのに人とすれ違わない」「天井に蜘蛛の巣、落書きも散見」…かつての商都で閑散、改善策も実らなかった「茨城の廃墟モール」苦難の歴史

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ところが、人が全然歩いておらず、エスカレーターは稼働していない。エレベーターは動いているようだが老朽化が感じられ、乗るのを躊躇してしまう。天井には蜘蛛の巣が張っており、施設のところどころに落書きされている。

エスカレーター
エスカレーターは閉鎖されている(筆者撮影)

施設に掲示されているフロアガイドによると、「モール505」には1階〜3階に73区画が存在する。だが、明かりがついており人の気配があるのは、わずか15店舗ほどだった。

残りは空き区画、もしくは営業状況が不明である。現地のフロアガイドも「モール505」公式サイトも更新されていない。店舗のサイトやSNSで営業が確認できたテナントもあるが、少なくとも筆者が訪れた平日昼間は60近くの区画が閉鎖されているか、店内が暗い状態であった。

特に2階、3階はシャッターが目立ち、人とすれ違うことがない。1階は散歩する人や通り抜ける人がちらほらと見られるが、「モール505」を目的に訪れる人はごくわずかで、"ショッピング"する人はいない。

シャッター
シャッターが目立ち、人の姿はまばら(筆者撮影)

一部の空き区画のシャッターはアートになっている。廃墟モールとなった末、2021年2月に閉業した「イオンモール名古屋みなと」でも、空き区画の壁がトリックアートになり話題になっていた。廃墟モールでありがちな光景かもしれない。

2階
2階の空き区画の一部がアートになっている(筆者撮影)

茨城県南の商都として栄えた土浦

「モール505」のある土浦駅周辺は、1951年に百貨店の「小網屋」、1958年に「西武ストアー(のちの西友)」、1967年に「丸井」、1973年に「イトーヨーカドー」が出店するなど、早い段階から茨城県南における商業の中心地として栄えてきた。

しかし駐車場が少ないことや、同じ常磐線沿いの柏市の台頭があり、駅前の中心市街地の地盤沈下が危ぶまれていた。

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