「会社がなくなったときは、かなりきつかったですね。もう、自己否定の嵐。自分のせいですべてが終わったような気がして。それでも代表としてやらなければならないことは残る。針のむしろに立っているような時間でした」
代表取締役という肩書も、積み上げてきたものも、一気に消えた。取引先や雇用者への説明、残務処理など、精神的な負荷は大きかったという。振り返ってみて、ひとつ強く心に残っている後悔は、自分自身が地域づくりの現場から距離を取って、別の土地に移住してしまっていたことだ。
「今思えば、現場から離れていたことが、いちばん大きな失敗だったのかもしれません。もしも現場にとどまっていたら、何かしらできたのではないかと、悔やんでも悔やみきれないんです」
そこから立ち直るのに、劇的な出来事があったわけではない。ただ、残務をやり切るなかで、「会社がなくても、くまがいさんに頼みたい」と言ってくれる人がいたことは、ひとつの支えになった。
「声をかけてもらって、ずっと関わってきた足立区で仕事を続けることになりました。仕事場でもある団地に暮らして、生活が落ち着いた頃です。久しぶりに通ったジムで、ふと『ここが実家』と思えるような、安心を感じたんです。その感覚を信じて、今度はこの足立区に、きちんと根を張ろうと思っています」
団地の“余白”から何が立ち上がって来るのか
高度経済成長期、日本では住宅不足を背景に、各地で団地が建てられた。同じ時期に、同じようなつくりの住まいが大量に供給されたという意味では、かなり大胆な住宅システムだったともいえる。
団地とひとくちに言っても、いくつかの系統がある。都営住宅のように、低所得者向けのセーフティネットとして機能しているものもあれば、UR賃貸住宅のように、比較的幅広い層を対象にした公共賃貸もある。また、分譲として建てられた団地も少なくない。
長い時間のなかで、賃貸と分譲が混在したり、住み手や使われ方が変わったりした結果、いまの団地は、外から見る以上に多様な姿を持つようになった。



















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