会議が大炎上…「説明しても理解できます?」説明責任を放棄した《技術責任者》の根本的な勘違い

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では、こうした相手にはどう対抗すればよいのだろうか。A氏の事例には、そのヒントが詰まっている。

当時、社内には「技術責任者も、大変な状況を何とかしようとしているのだから、仕方ないよね」という、なあなあの空気が漂っていたという。しかしA氏は、その空気を断ち切るようにこう詰め寄った。

「期限までにシステムを作るのが責任者の仕事ですよね。遅れることがあるのは仕方ないけど、そこからどうリカバリーするかを具体的に示せていない時点で、責任者の仕事を果たしていると言えるんですか?」

ここで重要なのは、「頑張っているかどうか」というプロセスではなく、「成果をどう出すのか」という一点に論点を絞り込んだことだ。

評価制度があいまいな組織であるほど、専門的で難しそうなことをやって「頑張っている空気」を出している人が評価されがちだ。しかし、組織の評価とは常に「成果を出すために、どう貢献したか」であるべきである。

非技術者がとるべき2つの処方箋

A氏は経営層に対し、成果が出る見通しが立っていない異常事態であることを強く訴えた。その結果、会社は技術責任者とは別に外部の技術顧問を迎え入れ、開発状況に監査を入れる決定を下した。

これにより、2つ目の「専門性のブラックボックス」も解消された。別の専門家を連れてきたことで、技術責任者が何を言っても、少しでもおかしなことを言えば顧問から指摘が入るようになったのだ。

技術者でなくともわかるように顧問が翻訳し、問題点を明らかにした議論ができるようになった。こうして「専門性の隠れ蓑」をすべて剥がされた技術責任者は、その後、責任者を外されることになったという。

つまり、処方箋は「成果を問うこと」と「他の専門家を呼ぶこと」の2点だ。これによって、言い訳を許さず、議論をブラックボックスから引きずり出すことができるのである。

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