「ニトリの家具で整えた築古2DKのアパート」「地方都市でかつての同級生と…」 映画『平場の月』が描く、"50代ほどほどの幸せ"の真価
「ちょうどよくしあわせ」とはどういうしあわせだろう。映画『平場の月』(土井裕泰監督)を見て考えた。
原作は朝倉かすみによる同名小説で、第32回山本周五郎賞を受賞し、第161回直木賞の候補作にもなったベストセラーだ。
「ちょうどよくしあわせなんだ」
地元にUターンしてひとり暮らしをしている50代の須藤葉子(井川遥)はこう言う。
「ほどほど」だけど、ちょっと欠けた部分を補いたい
原作にはこんな一文がある。
「朝霞、新座、志木―。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである」
朝霞、新座、志木……埼玉県の東武東上線やJR武蔵野線一帯から最も近い都会は、東京・池袋。ここで生まれ10代を過ごした須藤は実家を出て東京で働き、結婚もしたが、独り身になって地元に戻ってきた。
ばったり再会した同級生の青砥健将(堺雅人)もUターン組。離婚して、今は実家住まい、自転車で通える印刷工場に勤務しながら、施設に入った母の介護をしている。
「平場」とは、上流でもないし、かといってものすごく下流というほどでもない、平均的な庶民の生活の場のことだろう。そして「月」は満月ではなく、映画の中でいつも少し欠けている。



















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