「ニトリの家具で整えた築古2DKのアパート」「地方都市でかつての同級生と…」 映画『平場の月』が描く、"50代ほどほどの幸せ"の真価
筆者が鑑賞したときは、映画館では話の後半になるにつれ、観客のかすかなざわめきやすすり泣きの気配に満ちていった。
堺雅人と井川遥は美男美女ながら、精一杯、スターオーラを消して、平場に生きるつつましい生活者たちを好演している。
『半沢直樹』や『VIVANT』と違う堺雅人がいい
おもしろいのは、ふたりが恋愛関係になる場面の堺雅人だ。
これまで『半沢直樹』や『VIVANT』などのヒットドラマでの彼は、常に顔の筋肉に力を入れまくっているが、ここでは年齢相応の緩んだ顔になる。恋愛シーンのほうがいい顔しようとキリッとなりそうだが、逆。そこに味わいがあった。
井川遥は、ファム・ファタール、あるいは耐える女のような滲む色気が強調されていたのが少し惜しい気がした。これは井川の問題ではなく、男性の脚本家と監督の視点の問題ではないだろうか。
だが、原作者もこの小説では『世界の中心で、愛をさけぶ』のようなものを書こうと思ったそうなので(「小説丸」2019年1月21日配信のインタビューより)、男性にとって忘れられない強烈なしあわせの残像であることは、ある種、正解なのかもしれない。
地方都市の生活者たち――悪気はないけどおしゃべりで他人にずけずけ介入してくる厄介な同級生(安藤玉恵)や、昭和感満載の年上の印刷会社の先輩職人(でんでん)、職場が同じの元同級生(椿鬼奴)、青砥の元妻(吉瀬美智子)や息子(倉悠貴)、認知症になり息子のことがわからない母親(大方斐紗子)、静かに見つめてくれてる焼き鳥屋のおやじさん(塩見三省)……等々、すべてにリアリティがあってその描写も味わいがある。
映画では「12月20日」が重要な日として出てくるので、12月20日に見にいってみるのもいいかもしれない。筆者は年末年始、不要なものをどんどん捨てて徹底的にシンプルな生活をしようと思った。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら