「ニトリの家具で整えた築古2DKのアパート」「地方都市でかつての同級生と…」 映画『平場の月』が描く、"50代ほどほどの幸せ"の真価
「ちょうどよくしあわせ」を目指している須藤だが、それは過去、なかなかヘヴィな経験をしてきた結果の「ちょうどよさ」であることがわかる。夫とは略奪婚。その後、年下の美容師(成田凌)に貢いで、実家を売る羽目に陥っていた。
真面目で清楚に見えるが、ある面において欲望を抑えられない性分で、いまはそれを抑制しながら生きている。
(以下ネタバレになります)
中年のファンタジー作品ではなかった
50代、地方都市、築古アパートでのちょうどいい暮らし 気のおけない異性の友人と時々、地元の焼き鳥屋で飲んだり、家飲みしたり。
しかし『平場の月』は、憧れの中年以降の生活を描いたファンタジー作品では決してなかった。後半、様相がガラリと変わる。
「ちょうどよくしあわせ」とほんわかしていたら、
幸い、須藤は青砥と出会って、孤独死の心配がなくなったーーはずだった。ところが、須藤には悲しい運命が待ち受けていた。青砥を演じている堺雅人のびっくり顔がインパクトを表すほどの出来事が。
須藤も青砥も健康が気になる年頃。それぞれ地元の病院で検査を受ける(地元に大きめな病院があるのも暮らしやすさ)。そこで須藤の検査結果が……。満月のように満たされることを求めているわけではない、つつましい「ちょうどよくしあわせ」すら、徐々に遠のいていく。
ただし、原作は、読者を驚かせすぎないようにという配慮で倒叙法を用い、最初に結末がわかる。映画は時系列に沿って描くことで圧倒的な没入感が出た。人生の平場で人生の後半戦を生きていく人たちのやるせない物語を自分ごととして味わえる。



















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