「70代でもわたしは情熱的で官能的だった」…【88歳の女性作家】が振り返る、シニアの"性の適齢期"
過度な情熱に振り回されることなく日々を生きるべきであり、過度な情熱が往々にしてもたらす不幸な結果は避けるのが良いという意味です。
エピクロスは言いました。裕福ではあるが友人も自由も自己省察もない人間は、決して幸福にはなれない。だが、大して金を持たずとも、友人と自由と自らを振り返る贅沢のある者は、幸福なのだ。
エピクロスの考えでは、思索や友情によってもたらされる精神的な歓びは、セックスや酒、あるいは飽くことのない消費の末に得られる肉体的な快楽よりも優れているとされます。
なぜなら、精神的な歓びはそれ自体で満たされるのに対し、肉体的な快楽は、飢餓感や欲望、憧れや物足りなさをさらにかき立てるだけだからです。要するに、エピクロスはわたしたちの資本主義文化を論評しているのです。
資本主義文化では「心の空白」は埋まらない
資本主義文化はセレブを崇拝し、また消費を賛美し、その行いの結果、多くの人が感じている心の空白が埋まると思わせています。その空白は、どうやら文化が作り出したもののようです。
わたしは次第に、この空白を埋められるのはただひとつ、自分たちが本当は何者であるかを霊的に感じ取ることだと信じるようになりました。
わたしたちは肉体という堅い殻に包まれて歩む「光の存在」なのです。
完全な幸福を得るために必要なのは、家族と友人、奉仕の精神や生きがい、暮らしていけるだけの多少の資金、そして自分を超えた大いなるものとつながっているという感覚です。
まるで蛇が脱皮するように、執着心をするりと脱ぎ捨ててしまえる80代の人ならば、こうした考えが自然と身についています。おそらくそれこそが、わたしの友人がほぼ全員口をそろえて語った、深く穏やかな幸福の理由なのでしょう。
そして、あの押しつけがましい広告がわたしたちお婆さん連中を相手にしない理由もここにあります。


















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