「70代でもわたしは情熱的で官能的だった」…【88歳の女性作家】が振り返る、シニアの"性の適齢期"
「まあ、ソフィ!」。そう言うドロシーの顔は輝いていました。「昨日の夜、とっても素敵な夢を見たのよ。ものすごくハンサムな男性が出てきてね。その人とわたし……」。人は死ぬまでずっと、興味を失うことなどないと語ってくれました。
たとえ行動に移せなくなったとしても、その欲求はひっそりと体内に潜んでいます。性欲は、わたしたちの人生を突き動かすエネルギーの現れであり、象徴でもあるのです。
わたしは40代、50代の頃、自分がとても官能的で情熱的であることに驚いていました。妊娠の不安から解放されると――子宮の摘出手術を受けました――官能性が思いもよらぬ形で花開いたのです――20代の頃にはとても想像もできなかったほどにです。
20代の頃のわたしは、50歳を過ぎた人間なんて重苦しい足どりで墓場へ向かっているとばかり思い込んでいました。70代になってもわたしの日々は官能に満ちていました。そして、満足感に包まれていました。
今、わたしは80代。パートナーはいませんし、「ほとんど制御できない感情」は要りません。もう結構です。体液が渇ききった今、誰かに挿入されるなど、想像する気にもなれません。
わたしの身体は今やわたしだけのものであり、もはや誰かに明け渡すつもりも、誰かと分かち合うつもりもありません。ただし、優しく抱きしめてくれる人が現れたら、そっぽを向くつもりはありませんが。
思索や友情によってもたらされる「精神的な歓び」
ギリシアの哲学者エピクロス(紀元前341-270)は、パンとオリーブとチーズというごく質素な食事を好んだ人物です。
「徳に根ざした簡素な生き方」というその哲学は、のちに「食べて、飲んで、愉しめ」といった放蕩の教えへとすっかり歪められ、挙げ句にダンテの『神曲』でエピクロスは地獄の第六圏へと投げ込まれてしまいました。
それでもエピクロスは、快楽は幸福の尺度だと認めつつも、節度を保ってこそ人は幸福に到達できると断言しています。
簡素に生きるとは、豪奢に飲み食いする機会が一度たりともあってはならないという意味ではありません。


















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