「何かを言われてやるのではなくて、自分でやり切ったことがよかったと思います。新しいことに対するワクワク感もありました。中学校のときの自分は、東大に行けそうな学校に入れて、周囲も優秀だというワクワク感があったために1~2年は頑張れたのですが、次第に環境に慣れてしまいました。新しい人と出会えるというモチベーションがあったから頑張れたのだと思います」
就職氷河期になんとか内定も退職→公務員試験も不合格
東京大学に進学してからの楠田さんは、就職氷河期の中、1社だけなんとか内定をもらった住友銀行に入行するも、親戚も友達もいない大阪配属で馴染めず、1年5カ月で退職します。
その後、公務員の試験も受けたものの、大学生の時に続き合格できず、悩んだ末に、大学時代に父親が落選した経緯のあった衆議院議員選挙に出る決意をします。
27歳のときに元総理大臣である羽田孜氏の秘書になってから、28歳で初当選し、3回当選、3回落選を経験し、市長選に出て現在は太宰府市の市長を勤めている楠田さん。在職中にはM-1グランプリにも出演し、2回戦を勝ち上がりました。
「選挙も3回落選しましたが、2浪したときのように『3回失敗したら諦めた方がいい』と思っていました。3回、自分にできる限りのことをしてダメだということは向いていないということだし、割り切りも必要ですね。それで市長選に出ることにしました。
M-1は3年前から出たかったのですが、市の職員が自転車の酒気帯び運転で検挙されたことで、引き際だと思って3回戦で辞退しました。お笑いを見ている側としては楽しかったのですが、やる方は大変でしたし向いていませんでしたね。今後、また出る可能性はまずありません」



















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