「負ければみんな離れていく」 選挙で"人の冷たさ"知った太宰府市長が7浪という長い回り道の末にたどり着いた意外な場所

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楠田さんは福岡県の筑紫野市に生まれ育ちました。

「父はもともと福岡銀行の銀行員で、私の2歳上の兄が1歳くらいの時に銀行員を辞めて市議会議員になりました。そこから県議会議員の落選を経て筑紫野市の市長に転身し、2期務めました」

父が県議会議員に落選していた4歳から8歳の4年間は、「家中が倒産中のような感じでした」と語る楠田さん。

父親が2度目の挑戦で県議会議員になってしばらくした小学校3年生から塾に通うようになります。楠田さんは「受かりそうにない成績だったけど運よく受かった」と、福岡県の名門進学校である久留米大学附設中学校・高等学校に入学しました。

先生の一言に発奮して東大受験に熱が入る

中学2年生くらいまでは学年150人中50番くらいとまあまあの成績でしたが、しばらくしてから成績が下がりはじめ、高校生になる頃には高校入学の50人を加えて200人中120番程度の成績だったそうです。

「周囲も勉強ができるし、男子の進学校なので殺伐としていました。女子に関心が出はじめる年齢でしたし、ピリピリしている雰囲気に馴染めなくて、成績が落ちていきました」

志望校は東京大学の文科1類。学校自体も東大や医学部を目指すような雰囲気だったこともあり、勉強にも熱が入り始めます。

「それまでも東京に出たいという思いがあって、なんとなく東大に行きたいと思っていました。学年で40名くらいは東大に入りますし、附設に入った後も頑張ったら『行けるかもしれない』と意識していましたね。より発奮したのは、進路指導の際に『120番だと何浪しても東大に行けない』と先生に言われたからです。『本気を出していないのになぜそんなことを言われないといけないんだ』と思って、更に東大に行こうと思いました」

しかし、それなりに勉強するも、判定はずっとEのまま。高校2年生のときに異性に振られてモチベーションがダウンしたこともあり、現役時のセンター試験は637/800点に終わります。目標としていた東大の文科1類をなんとか受験したものの残念ながら不合格。後期で一橋大学に出願したものの足切りになり、浪人することを決めました。

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