「負ければみんな離れていく」 選挙で"人の冷たさ"知った太宰府市長が7浪という長い回り道の末にたどり着いた意外な場所

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楠田さんに浪人しようと思った理由をお聞きしたところ、「父も2浪していたから」と答えてくれました。

「父親も九州大や早稲田に行きたくて、2浪した経緯があったので、自分も2浪までは許されるんじゃないかと線引きしていたのはあります」

開成や麻布出身の友達ができた浪人生活

1浪目はこの年から福岡に進出してきた駿台予備学校福岡校で勉強をします。しかし、この1年は「いい思い出がなかった」と振り返ります。

「勉強自体はしていたのですが、空回りした1年だったなと思います。住んでいるところは今までと変わらず実家でしたし、カリキュラムに沿って過去問を解いたりはしていたのですが、覚えていないんです。記憶を消しちゃっているんですね」

この年もE判定から脱却できずセンター試験の点数は645/800点と、現役のときから少し上がる程度だった楠田さん。この年も東京大学文科1類を受験しますが、またしても不合格となり、2浪が確定しました。

楠田さんはこの年の失敗を受けて、実家を出ることを決意。2浪目は、駿台予備学校のお茶の水3号館に入って東大を目指します。

「親もとから出てきたので、周囲の人に色々言われなくなり、自主的に勉強ができるようになりました。親が心配して、『駿台の寮に入れ』と言われたのですが、1人部屋に入るための試験も落とされて、4人部屋の寮に入らされました。

ただ、結果的にそれがよかったですね。みんな2浪の富山・岡山・山梨の人たちと一緒だったのですが、富山の人は暑がりなのに対して僕は寒がりなんで、冷房を消してバトルになるようなこともありつつ、退路を断って勉強できました。

東京の開成とか麻布とか武蔵とかの学生とも接点ができたのがよかったですね。適度に彼らとカラオケしたりして息抜きもしながら一緒に勉強して、いいペースが築けたと思います」

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