「あまり後先は考えておらず、『タイでチャンピオンになってから考えようかな』くらいの考えで現地でムエタイを始めました。タイのビザは1年半くらいあるのでそれくらいいようと思ったのですが、家賃や練習日を計算すると1年もいられないと思ったので、スラム街に住んで超節約しながら生活していました。最初は周囲にお金を盗られたりするんじゃないかと警戒していましたが、みんな優しくて、ご馳走をしてもらったり、ちびっこにお菓子をもらったりして、逆に周囲に食べさせてもらって生きていました」
こうして21歳の夏まで1年半、練習を毎日続けることができた岡田さん。ただ現地での格闘技は、想像と全く違ったそうです。
「タイに行って1カ月でプロのルールの試合に出ることになって、アメリカ人にボコボコにされました。腕っぷしには自信があったのですが、自分より20キロ体重が軽い人にボコボコにされたこともありましたね。
格闘技が甘くないことを痛感しました。自分が格闘家になりたいのは間違いなかったですし、タイから戻っても格闘家として活動していこうと思っていましたが、一人で寝ていると将来のことを夜な夜な見つめ直すようになりました。
医師の息子だから医師になるとか、父方の祖父母に医師になってほしいと言われるような人生のレールに乗るのが嫌だという反発心もありましたが、ここで父が医師で自分は長男だというのも運命だと思って、一旦レールに乗っかってみるのもありだと思いました」
ついに医学部受験スイッチが入る
21歳の夏にタイから戻ってきた岡田さんは、地元の友達と遊びながら、英語を勉強したい気持ちもあって22歳の3月から10月までワーキングホリデーでニュージーランドに行きます。
それまではなんだかんだで医学部に行くための勉強に本腰を入れられていなかったそうですが、ついにニュージーランドから帰ってきてスイッチが入りました。
「ニュージーランドに行ったことで、英語が苦手科目から得意科目になりました。勉強すると決めてからは、勉強漬けの生活ではなかったのですが、オンオフをはっきりさせて勉強していました。朝起きて勉強を始めるのですが、眠くなったら昼寝したり、夜は友達と飲みに行ったりとかですね。
父が亡くなって母子家庭でしたし、自分以外にも兄弟が3人いるので、短期集中で大分大学の医学部一本に絞って、ここに落ちたら医師にはならずに世界一周ヒッチハイクの旅をすると決めていました」



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら