「中学1年生の頃に父が亡くなったのですが、父方の祖父母に、『長男だから医者になってほしい』とずっと言われていました。僕の高校は周囲に医学部に行くような子もいたので、自分も志望は医学部にしていました」
高校3年生まで成績は大きく変わらなかった岡田さん。しかし、ラグビー部を引退してからは部活に行かなくなり、不登校になったと語ります。
「中学で仲が良かった子たちが高校に行かず、中卒で働く人が多かったんです。それまでもラグビー部の練習が終わってから合流して一緒に遊んだりしていたのですが、途中で『自分は本当に医者になりたいのか?』と思うようになって、学校に行かなくなりました。卒業要件は満たせていましたし、当時の担任が親身に話をしてくださっていたので、すすめられた九州大学の工学部を受けて合格したのですが、そのときには格闘家になりたいなと思っていました」
そして岡田さんは、九州大学に入学をせずに格闘家になる決意をします。
貯めたお金でムエタイの本場、タイへ
「名前がまさとなので、昔から格闘家の魔裟斗さんに憧れていました。父親が元気な時から一緒にK-1をよく見ていましたし、本当は高校でボクシングをやりたかったのですが、ラグビーの勧誘が激しくてやってみたところハマったんです。大学でもラグビーを続けたい気持ちがあったのですが、高校に入ってすぐ格闘技ができなかったから今がチャンスかなと思いました」
近所のキックボクシングのジムに入り、そのジムで教えていたムエタイにはまった岡田さん。魔裟斗選手の最大のライバルだったブアカーオ選手がタイ出身のムエタイの選手ということもあり、本場のムエタイに触れるためにタイに渡る決意をします。
18歳から昼は飲食店、夜はラウンジのボーイのアルバイトを2年間続けた岡田さんは、そこで貯めたお金で20歳の時にタイに渡りました。しかし彼はここで厳しい現実を知ることになります。



















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