名門小学校に受かる子はどこで「本物の情報」を得ているのか––ハイソだけが使う《看板のない予備校》と階層の深い闇
「成功」をアングラで語り、表ではタブー視する
能力、成功はおおよそすべての人が学校や企業など社会を構成する重要なステークホルダーから求められ、ゆえに自身も獲得に懸命になる。しかし、大半の人が夢破れる状態を生み出す。成功は選抜的であり、限られた人のものなのだ。
ただふと思う。これだけ多くの人に関わる懸念であり欲望なのに、学校教育では直接的に教えない。もとい、「成功」は話題にも出されない。成功、失敗という大人になってからも人々の思考に大きく植え付けられた存在なのに。よく考えれば不思議である。
現に、国会では万博やらなんやらの話以外ではものの見事に「成功」は使われない。こんなに使われないのは、逆に強い意志を感じて仕方ない。火はおろか、煙にもならぬよう、おくびにも出さないという具合だ。
しかし、こういう意見もあろう。教育などの公共性の高い場所で、「成功」「失敗」を語ることは、それが社会が成功者と落伍者を分け隔てるようで、タブーじゃないか? と。さんざん日頃は言っておいてよく言うわ……という気もなくもないのだが。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら