日本の天皇が「血筋より家の存続」で選ばれた合理的理由 中国の皇帝と決定的に違う「血統への考え方」
孝謙天皇は生涯未婚でしたが、やがて道鏡という僧侶を寵愛するようになります。そして、道鏡を太政大臣禅師や法王に任じたことで、彼は朝廷で大きな力を得るようになります。しかし、これだけでは飽き足らず、孝謙天皇は称徳天皇として重祚し、今度は道鏡を天皇にしようと画策します。
ここで登場したのが、大分県にある由緒正しい神社である宇佐八幡宮。なんとも都合のよいタイミングに、この神社の神官たちがある託宣を出しました。それは、「道鏡を天皇にせよ」というもの。これによって、道鏡を天皇として後押しする声が上がったのです。
託宣は本当か?
しかし、このとき、本当にこうした託宣があったのかは、首をかしげざるを得ません。なぜなら、宇佐八幡宮の神官たちは、非常に機を見るに敏な人々だったからです。たとえば、称徳天皇の父親である聖武天皇が東大寺の大仏建立の詔を出したときにも、彼らは真っ先に「我々も協力します」と手を挙げた。
本来、日本の八百万の神々を祭る神社からすれば、海外由来の仏教はライバルのようなもの。しかし、時代の空気を上手に読んだ宇佐八幡宮は、大仏の建立に力を貸すことをいち早く提案したのでした。
その功績で、今でも東大寺には宇佐八幡宮の分社である手向山八幡宮が祀られていますし、快慶の手による僧形八幡という仏僧の姿をした八幡神像も国宝として残されています。
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