日本の天皇が「血筋より家の存続」で選ばれた合理的理由 中国の皇帝と決定的に違う「血統への考え方」
奈良時代までに存在した女帝とは、あくまで男性の皇位継承者の欠けている時期に一時的に即位する「中継ぎ」のようなものでした。
これは大和朝廷における天皇の必須条件は、軍人的性質を持っていたことに起因しています。彼らは、戦いの先頭に立って大和の国を平定した、戦の指導者であるべき存在でした。
子どもや女性では、身体的にもその役割を果たせません。だからこそ、「成人男性であること」は、天皇に即位する上での基本的要素だったのです。
でも、ときには天皇に即位できるような適齢の成人男性が皇室におらず、次の天皇候補がまだ幼いという事態も起こりえます。その場合、天皇候補の男児の母親や姉が、女帝として皇位に就くことがありました。
女性で唯一「皇太子」として天皇に即位した孝謙天皇
ただし、その常識を破った女帝が一人だけいます。それが孝謙天皇でした。
孝謙天皇は、両親である聖武天皇と光明皇后の間の一人娘だったので、女性ではありながらも、幼い頃から「次の天皇」として育てられました。彼女は、歴史上女性で唯一、「皇太子」を経て即位した人物でもあります。



















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