高橋:都会にいると、食事ひとつをとっても工業的で、あたかも自動車の給油やスマホの充電のような感覚になりがちです。
地方には、生き物の命がうごめく現場がある
しかし食事とは本来、ほかの生き物の命を、自分の命に変えることであるはず。生き物の命が間近にうごめき、生活の中にその確かな感触があるのが、地方の第一次産業の現場です。
都市の人たちもそこに行って思い出してほしいのです――「俺たちも生き物なんだった」「必ず死ぬときが来るんだ」ということを。それを忘れずにいることが、都市の幻想から目覚めるための鍵になるんじゃないでしょうか。
窪田:農家の方がどんな思いで命を食材に変え、それが自分たちの食卓に並んでいるか。都市の人には、なかなかその実感がないでしょうね。だから自分が生きている実感も薄いというのは、確かにそうかもしれないなと感じます。
高橋:例えば魚を食べるとき、ただ「598円で買ったパックの切り身」と思うのではなく、どこの海でどんな漁師さんが捕った魚なのかを想像すれば、その人を応援する気持ちも湧いてくるかもしれません。漁獲量の減少や漁師の担い手不足も他人事じゃないと感じて、自分ができることを考えるようにもなるかもしれません。どちらも、自分が魚を食べる生活を守ることにつながるからです。
窪田:すべてをお金で済ます消費社会では、自分の生活に必要なものを提供してくれている人との関わりも見えないんですよね。相手と自分をつなぐものも、お金だけになっているからです。
地方では医療が縮小していますが、病院も管理が行きすぎれば、患者はお金でサービスを享受するだけの顧客になってしまいます。でも、自分の体は自分でオーナーシップを持って気にかけていくべきものですよね。もちろん課題もありますが、無医地区になってしまったエリアで、お年寄りが自分の健康を気にして散歩などを始めた例もあるんですよ。
高橋:自分が生き物であることを思い出すことは、自らを知ってケアしていくことにもなるんですね。

















