「二浪はさすがに笑えない」模試E判定でプッツン。深夜に貪るように食べ、硬い床で寝る…メンタル崩壊で《強制勉強システム》作った彼女

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高校でもバレーを続けていたため後回しになっていた学業。しかし、高校2年生の夏頃に志望大学を決めたことで、勉強を頑張ろうというモチベーションが生まれ、個別指導の塾に入りました。

「私が通った高校は数学がとても厳しく、赤点を取ると再試で70点以上を取れるまで放課後に繰り返し受けなければなりませんでした。私は毎回4~5回再試を受け、不合格になるたびに廊下に呼び出され、まるで晒し者のような扱いを受けていたのですが、次第に高校内で劣等生として扱われ続けることが悔しいと思うようになり、入った塾の中では勉強を一番頑張ろうと決意しました。

それからは毎日塾に22時まで残って勉強していました。最初は思うように成績が上がらなかったのですが、2年生の冬に数3のテストで80点を取れたことが成功体験になって、『頑張れば伸びるんだ』という自信を掴みました」

コロナ禍に突入し高校が休校に

高校3年生になる直前にコロナ禍に突入して高校が休校になるも、午後だけ塾が開いていたため、トッツォさんは自由な自習時間を有効活用します。13時から22時まで塾で勉強し、帰宅後も夜中まで2時間勉強するのがルーティーンとなっていたそうです。

しかし、数3の試験でいい点を取るという成功体験を得たといえども、もともと全体の成績が低空飛行だったため、すぐに成績は上がりませんでした。

「上京したいという強い思いと、親の手前、国公立である必要があったことから、条件に合う都立大を志望しました。ですが、成績は最後まで上がらず、模試の判定はずっとEで、たまにDが出るくらいでした」

志望する学科は共通テストで7割以上が必要とされましたが、基礎が固まっていなかったこともあってか、最後まで成績が伸び悩んで本番では6割弱にとどまります。

結局共通テストで東京都立大学は足切りとなってしまい、現役の受験を終えました。

共通テストが終わるまで一切浪人を考えていなかったトッツォさんですが、足切りの結果が出た段階で浪人を決断します。その理由を聞くと、「これだけ頑張ってきたのに妥協するのが嫌だったから」と答えてくれました。

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