真々庵の庭は京都府から明治の文化財に指定されていた。広さは全部で約2000坪。名庭園師、小川治兵衛(じへえ)の作になる、なかなかの名園である。
昭和36年、ある人からこの邸宅を譲り受け、真々庵とみずから名づけた松下は、明治時代の庭園の基本である借景、自然様式、池泉(ちせん)回遊式を巧みに残したまま、かなりの自分好みにつくり替えた。松下自慢の庭であった。その庭を一回りしてから、お客さまを案内する十畳の座敷にあがった。そこにはすでに、おいでになるお客さま十人分の座布団が並べてあった。
座布団の並べ方にもこだわる
きれいに並べてあると思った。私にとっては最初にお迎えすることになるお客さまであったから、緊張もし、精いっぱい気をつかってもいた。これで準備が整ったと思い、ホッとした途端に松下が、
「きみ、座布団の並べ方がゆがんどる」と言う。
えっ、と思いながら改めて見直してみたが、私が見るかぎり整然と並べられている。どこが曲がっているのかわからないままに松下を見ると、ちょうど私たちが小学生のころ教室で机を並べたとき、いちばん前の机に合わせて何番目が出ているとか言いあいながら並べたように、真剣に座布団を見つめていた。たかが座布団、そこまでしなくともいいのではないかと思いつつ、言われるままに並べ直していると、
「その座布団は裏返しになっている。それに前と後ろが反対や」
私は座布団の表裏とか、前後ろという知識は持ち合わせていなかった。どちらが表で、どちらが前なのか。一瞬ひるんでいる私に、松下は足もとの座布団を一枚取り上げ、
「ええか、きみ。ここは縫い目がないやろ。これが前や。それから後ろ側の縫い目を見ると、一方が上にかぶさっている。こちらが表というわけや」
そのときに、座布団の前に置かれた灰皿を畳の目数にあわせてまっすぐ並べるようにという指示も受けた。このような「小さな注意」を、私はそれから幾たびも経験することになった。
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