港区と千代田区が同率1位!では、3位以下は…? 東京で《会社・団体役員》の比率が高い区を調べてみた

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(画像:『データでわかる東京格差』より)

いずれも上町(うえまち)台地と呼ばれる半島状の台地にあり、お屋敷と寺社が建ち並ぶ、歴史と文化の薫りがただようエリアです。地盤の強さ、日当たりと風通しの良さ、大阪湾を望む開放的な眺望などは平坦な大阪平野の中でも随一です。一方で、帝塚山から玉出方面へ坂を下ると、街の風景は庶民的なものに一変します。まさに「微地形が街をつくる」の代表例だと言えるでしょう。

また、近年では中心市街地(本町、北浜)や福島、中之島エリアでマンションの建設が進み、東京の日本橋近辺を思わせるような職住近接型の都市景観が生まれています。

郊外では、六甲山地や北摂山地の南~東斜面に邸宅街が広がっています。御影~夙川(阪急神戸線)、甲陽園(阪急甲陽線)、宝塚南口~逆瀬川(阪急今津線)、雲雀丘花屋敷(阪急宝塚線)などが代表例です(図7)。

(画像:『データでわかる東京格差』より)

これらの地域では明治時代末期から大正時代にかけて、阪急電鉄(当時の箕面有馬電気軌道)などが宅地開発を進め、財界人や文化人などが六甲山麓の景勝地に競って邸宅や別荘を構えたことが、現在の邸宅街の原型となっています。

1913年に誕生した宝塚歌劇団※5や、1930年代に行われた関西学院・神戸女学院の誘致も阪急電鉄の事業の一つであり、鉄道会社が街づくりにとどまらず、芸術・文化を盛り上げていったところに当時の阪神エリアの「栄華」を感じます。

富裕層が山から降りてきた?

名古屋でも郊外の丘陵地と都心周辺に「役員」が集まっています(図8)。

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