SNSの「強烈な快感」に支配される現代人、脳科学者が教える"新しい感情労働"の実態

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イギリスの児童精神医学者のジョン・ボウルビィの研究は、いつも一緒にいられるわけではないけれど、自分が本当に窮地に陥った時に、必ず自分を見てくれて、その人のところに戻れば大丈夫、という存在(これを「安全基地(secure base)」と呼ぶ)を持っている人、親や友人たちとそういう信頼関係が築けている人は、好奇心を持って新しいことに挑戦できると示唆している。

注目の「量」としては少なくても、信頼に足る濃厚な注目で、それによって安全基地を築けた人は、自分に世界から注目を集めることではなく、世界のほうに自分が興味を持つことができるのである。パソコンやスマートフォンの登場で24時間、一度も顔を合わせたことがない人とすらもつながっていられるようになったことで、無制限に「もっともっと」と欲しがることが可能な環境ができてしまった。

人々の注意を得ることが経済的価値になるという「アテンション・エコノミー」を予言したアメリカの認知心理学者ハーバート・サイモンは、注意とは自分の動機に合わせて思考の範囲を狭めるもの(bottleneck of human thought)と定義している。注目するというのは、他の可能性を排除して、それにばかり向かっていく力を持たせるものでもある。

広すぎる世界の中からやりたいと思ったことに注目して、高い目標を持ち、一歩ずつそこに向かっていくために計画を立てる。私たちの脳は、そのような生き方が可能なようにできてはいるのだけれども、そのような冒険は、質の良い注目を他者からもらって自分が安心できた経験がなければ難しい。安心できていない人は、傷つくのを避けるため、世界から引きこもる必要があったり、安心するためにまず他者の注目を得ることが目標になり、そこにばかり向かっていったりしてしまう。

人間が生きる動機は、誰かの注目を得たい、誰かの信頼を得たい、という他者に依存したところから、知らないことを知りたい、自分はこれが好きだから他者がなんと言おうとここでがんばりたい、という他者が全く関係なくなるところまで、幅広く発達させることができる。

バズるという強烈な快感

自分がいいと思うことと、他人がいいと思うことは、社会の感情規則に影響を受けている。とはいえ感情には個人差があり、100人いたら100通りであるはずで、一致しない可能性が高い。それゆえに自分がやりたいと思うことをやったり、その気持ちを表明したりすることには、他人との違いを主張することになるので勇気がいる。その勇気を与えてくれるのが、失敗しても私は味方だよとシグナルを出してくれる親や友人などの安全基地なのである。

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