「横浜駅の喫煙所でボロボロ泣きながらタバコを…」"現役外科医の人気作家"中山祐次郎氏「受験全滅、親のすねかじった」浪人時代

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「1浪目を終えて、心のどこかでは自分はまだ甘いなと思っていたので、歩きながらや、お風呂でも勉強をしていました。年越しも例外を一切作らず、勉強していたら年が明けました。受かるまでは止められないという悲壮感を抱えていた一方で、もう1年の勉強は無理だなと思ってやっていました」

親としても3浪以上をさせる気はなかったため、滑り止めで早稲田と慶應も受ける条件をつけ、この年でダメだったら医学部受験は諦めるように中山さんに伝えていました。

地方の国公立大学ではB判定も出るようになっていたこの年の受験では、センター試験で715/800点と医学部を狙える成績を記録。前期は千葉大学医学部、後期は鹿児島大学医学部を受験します。

早稲田と慶應にどちらも合格した状態で「自分の中のチャレンジ校」として挑戦した千葉大学医学部は落ちたものの、鹿児島大学医学部には合格し、中山さんは2浪を経て、医師になる切符を掴むことができました。

鹿児島大学医学部6年生、実習のため慣れない白衣で(写真:中山さん提供)
鹿児島大学医学部6年生、実習のため慣れない白衣で(写真:中山さん提供)

2浪で鹿児島大学医学部に合格し、医師になった中山さん。浪人生活を頑張れた理由を聞くと、「医学部に受かるという道を通らなければ生きていけないと思っていた」と答えてくれました。

「浪人は必要ではない」が、マシな人間にしてくれた

「浪人に対する感想は人によりますが、僕は『浪人は必要ではない』派です。浪人をしたくてする人は一人もいません。中学・高校の時にある程度勉強していて、それなりに自分に合った志望校を決めていたらしなくてもいいですし、浪人というシステムが許されなかったら浪人生もいませんからね。

ですが、実際に浪人を経験した人がその経験をどう思っているかは別だと思います。思い返すと、2年間悶え苦しみましたが、運が良かったから希望するところ(医学部)へ行けましたし、希望する職業にもつけました。そのときの友達は今でも大切ですし、世の中を舐めていた18歳をちょっとでもマシな人間にするには必要な時間だったのかなと思います」

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