「横浜駅の喫煙所でボロボロ泣きながらタバコを…」"現役外科医の人気作家"中山祐次郎氏「受験全滅、親のすねかじった」浪人時代

✎ 1〜 ✎ 156 ✎ 157 ✎ 158 ✎ 159
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

中山さんは1980年に神奈川県に公務員の父親と、専業主婦の母親のもとに生まれ、兄と妹がいる3人兄弟の真ん中として育ちました。

母、兄、妹とともに写る子供時代の中山さん(写真:中山さん提供)
母、兄、妹とともに写る子供時代の中山さん(写真:中山さん提供)

「小さい頃から転勤族で、東京の赤羽や、静岡、福岡などに移り住みました。さまざまな場所に住んでいましたが、5歳からは成人するまで横浜に住んでいます」

“友達と1度も遊ばず”勉強して聖光学院中学校に合格

小学校からは横浜市で過ごしますが、実家の裏にはビニールハウス、近くには大きな田んぼがあるような田舎の風景が広がっており、学校まで40分歩いて通学をしていたと語ります。小学校4年生までは普通に小学校に通っていた中山さんの日々は、5年生になってから大きく変わりました。

「兄が受験勉強をしていた関係で、自分も5年生から日能研に通い始めました。そこから丸2年間ずっと勉強で、友達と1回も遊んだ記憶がありません」

日能研に入る前もテストで優秀な成績を取っていた中山さんは、猛勉強の甲斐もあり、兄が通っていた聖光学院中学校・高等学校になんとか合格しました。

小学校では6年間リレーの選手であるほど運動も得意だった中山さんは、中学1年生で陸上部に入り、2年生でサッカー部に転部してから卒業までずっとゴールキーパーを務めます。充実したスポーツマンとしての学校生活を送っていた一方で、成績は下位が指定席。高校1年生までは学年220人中190位程度で、170位を超えたのは1回しかなかったそうです。

成績が悪く、毎年退学になりそうな状態をギリギリ耐えていた中山さんですが、高校1年生のときにある新聞記事を読んだことで、人生が大きく動き始めます。

次ページ新聞を読んで知ったこと
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事